TAFでの白組・八木竜一監督講演「メイキング オブ 『フレンズ もののけ島のナキ』」のメモ書き


03/23(金) TAF ビジネスデーにて


781カット 1カット平均45レイヤー
スタッフ 社内40人・外注22人・立体視35人(※オムニバス・ジャパン)
ソフト:3dsmax コンポジットはaftereffects


プリプロ
シナリオ:プレスコ台本が19稿
モーションキャプチャーをそのまま使うと気持が悪いが、キーフレームアニメーションだと手間がかかる。→モーションキャプチャーを修正していく・コタケはキーフレームアニメーション
キャラクターデザイン:紙→ZBrushもあれば、いきなりZBrushからもある。ZBrush、八木さん曰く「デジタル粘土」。
ナキの家のデザイン:紙→美術(※サンクアール)googlesketchupで立体的にデザイン、八木さん曰く「デジタルモック」


【制作】
ナキの家(内):幅2mのミニチュア スケール1/6
ナキの家(外):スケール1/24

スチールとムービー(モーションコントロールカメラ)で撮影。天井はライティングの都合でない。コンポジットの際に写真の切り貼りをCGで埋める。
カメラマップ(ミニチュアをスチールで撮り、CG上の立体に貼る) →2Dカメラワーク ←→3Dカメラワーク(ミニチュアをムービーで撮る)

シナリオ→コンテ(紙)→シナリオ→Vコンorいきなりアニマティクス

コタケの声、山崎さん・八木さんの演出を受けて、お母さんが子供に直につけている。

ドラゴン・タトゥーの女→中村勇吾→

要するに、スクリーンを「プロダクトの延長の実平面」と捉えるか、「仮想的な空間を覗く窓」と捉えるかの違いで、どちらもそれぞれに、気持ち良い面、気持ち悪い面をもっている。  (中村勇吾 on twitter


ドラゴン・タトゥーの女。▲TOHOシネマズの座席を立つ際には、いまひとつと想いもしたのだが、日が経つと傑作に想えてきた。それは映画の記憶が薄れ、女の魅力のみが残っていったからであろう。▲スタイリストとヘアメイク、このふたりの勝利に違いない。平成のはじめ、「ゴッドファーザー3」を見た私は、すぐさま皮のコートを買った。アンディ・ガルシアの影響である。いい歳した今、「ドラゴン・タトゥーの女」を見た私は皮のジャケットが欲しくなった。しかしながら、帰り、無印良品でスキンケア商品を買って帰る。年をとるというのはそういうことなのだろうか。▲音を次のカットにこぼす編集がしつこいほど多用されている。これは割りと好きである。▲この映画で関心したのは、女と男があやつるPCのディスプレイ内で、多くを処理していることである。長大な原作の要素を映画として刈りこむ際に、手っ取り早く説明する手法として、ディスプレイ内で見せるそれをとっているのであろう。(原作は未読) ディスプレイ内で操られる数多の写真、それは登場人物の思考そのものであり、混沌→引っ掛かり→発見と、セリフによらずにディスプレイ内での展開でそれを見せていく。すなわちディスプレイの面でもって他人の頭を覗くのである。▲そこで想い出すのが中村勇吾である。


「スクリーンを『プロダクトの延長の実平面』と捉えるか、『仮想的な空間を覗く窓』と捉えるか」(中村勇吾)、この冒頭の言葉である。中村勇吾は現在はインターフェイスデザイナーであるが、もともとは「実はもともと僕、建築の世界で構造家を目指してたんです」。そして建築家と構造家とがお互い相手の領域について深い理解がある人同士で組むと、レンゾ・ピアノ(建築家)とピーター・ライス(構造家)のコンビのように傑作が生まれると続けている。▲そのピーター・ライスは言う。「建築家は課題に対してクリエイティブに対応するが、エンジニアは本質的に革新性に満ちた方法をとる」 ▲この建築家−構造家の関係に近い、すなわちクリエイティブ×エンジニアリングの関係で作品を生み出している事例のひとつに、真鍋大度×石橋素があろう。現在西新宿のICOで展示中の真鍋大度+石橋素「プロポーション」はまさにそうした創作物である。おそらく来年の今頃はメディア芸術祭の大賞作品として国立新美術館に展示されているであろう。


映像はながらくエンジニアリングを不要としてきた。テープに落とすこと、これが映像の最終工程であった。その後はデッキで再生され、モニタに移される。あるいはフィルムに定着し、映写機でスクリーンに映す。そこでは個別の映像が個別のエンジニアリングを必要としない。テープやフィルムの規格に沿うのみである。▲エンジニアリングとは無縁の世界、それでいて映像は先端性を持ち得た。しかしそんな時代は終わった。▲過日、2011年のカンヌ広告祭受賞のCMを60本近くみたのだが、そのなかで技術的に10年前にはありえないCMは1本のみであった。(CMの音をshazamで拾うもの。これは10年前ではやりようがない) ▲しかし、その10年前の2001年頃のカンヌはどうであったか。インフェルノという不吉な名前のコンポジットマシンの登場によって、どうやってつないだかわからない、ゴンドリーが切り開いた面白い場面転換、そうした映像テクニックの全盛期である。これはおそらく世界的にCMの黄金期である。それらはその10年前には成し得ない映像手法によって作られている。なにしろ1991年にはこの世にインフェルノは存在しないのである。▲(もちろんここ10年に映像は進化している。しかしそれらの進化を吸収しているのは映画である。いつしか映像の進化をCMは吸収しなくなった。いやCMが進化を必要としなくなったのである。CMにとって映像技法をさほど重要ではないものとなった。消費者インサイトなど、すなわちマーケティング的な課題をこなすのに、映像の進化は過剰となった。)▲いずれにせよ、エンジニアリングと結びつかないクリエイティブは孤立する。 

これ、一部で話題なんですが、iPadでAV見ると臨場感が凄いんですよ。 (notomi on twitter

エンジニアリングを不要としてきた映像は、同時にほぼ正対の位置からほぼ水平に目線を遣って見るものであった。しかし、そんな時代も終わったのである。

ALWAYS三丁目の夕日'64

上映後の床はポップコーンだらけ、3Dメガネのせいでツマミみにくいのかもしれないが、こんなに散らかっているのも珍しいというくらいの有さまで、ハレの映画の証、すなわち年に1度映画に来る程度の人(つまり大半の日本人)をかき集める映画、大衆を相手にしたそれであることをポップコーンが語っているようであった。年がら年中映画を観る人はこの映画を黙殺するのであろうけれども、変なこだわりは捨てて観たほうがいいんじゃなかろうか。▲コンテンツ商売なんてものをやっているため、年中「エッジが効いている」だなんだてな物言いを聴くのであるが、「エッジが効いている」ものよりも、大衆を相手にしたものの方がすごいし、こしらえるのも大変に違いない。この映画を見ながらずっとそんなことを考えていた。▲勤務先の上司は、地方で暮らすブルーカラーの兄貴にも届くか…と自問自答しながらコンテンツ商売をしているのだが、たとえばテレビとスマフォの普及率を直視するとか、慶応SFCぽいひとは頭を冷やした方がいい。▲阿部さん山崎さんはじめ、商売の都合で通じたひとがスタッフクレジットにずらずら並び、また次に会う際に見てないのもあれなので …そんな軽い気分でTOHOシネマズ六本木へいき、上述のように大衆を相手にする凄みに圧巻されたのであった。▲この映画、スタイリストの仕事っぷりが素晴らしい。衣裳が余計な主張をぜんぜんしていない。(もたいまさこのジャンパーを除いて)▲同じく白組×ロボットの「フレンズ もののけ島のナキ」は立体視調整をオムニバス・ジャパン、ラボを東現としていたが、本作品はともにイマジカ。イマジカ・ロボットホールディングスのロボットだから自然といえば自然だが。▲その昔、まだCM制作会社にいた当時、合成ものの場合、その肝は接地であった。松本人志大日本人」の合成カットは足元がほとんど写っていない。それは接地の処理を避けた結果であろう。あるいは広い画であったり、あるいはカメラが動いたり、そうすると途端にカネが余計にかかる。わずか900フレーム、アスペクト比4:3の世界ですらそのざまであった。本作品は、なにも恐れていない。がんがんカメラは動き、広い画がどんどん登場する。当然のように。そんな風に日本の映像(文化)は山崎貴が変革したのだ。▲吉岡秀隆須賀健太と別れ、須賀の叫び声を背に歩き去っていく。門を曲って、一拍、吉岡のセリフ。この流れで、一拍の箇所でうまい具合に車が通り過ぎ、その通過音。この音の流れ、すなわち須賀の叫び声→通過音→吉岡のセリフ、このリズムが気持ちいい。▲ブルーインパルスVFXカット、あれは少し違う趣味が出ている。▲最後、カメラがずーとトラックバックしていく。当然そのままクレーンアップし、東京の全景を見せてくれてお終いと想いきや、カットを割って全景であった。▲出色なのが堤・薬師丸のセガレ、すなわち鈴木オートの御曹司の小清水一揮。こりゃあ、ドラ息子の顔だわ。

牛窓


牛窓岡山県瀬戸市
牛窓を知ったのは、川本三郎「日本すみずみ紀行」(昭和62年刊行)によってである。この書籍は川本の町歩き・紀行もののなかでもいちばん好きなものかもしれない。これにも下の写真にある「ニコニコ食堂」は登場し、川本は「おでんと小さなイカの煮物をさかなにビール」を呑む。その後、遊郭から転業した旅館で一泊した後、広島の大崎下島の町・御手洗に向かう。ここもかつては遊郭の町であった。一泊した後、以下のように川本は〆る。

お婆さんの作ってくれたワカメの味噌汁がおいしかった。朝刊を見ると、広島県プロ野球のオープン戦、広島と西武の試合が行われたとある。春はもうすぐである。朝食をすませ、船着場まで行く私をお婆さんが見送ってくれた。こんどの旅はなんだかお婆さんにばかり会ってきたようだ。  川本三郎「日本すみずみ紀行」現代教養文庫21頁




いまさらのfacebook

深夜、ひと稀なオフィスのフロア、音の割れまくった音楽が聞こえる。あるガールズバンドの仮歌のデモが同僚のノートPCのスピーカーから流れている。デモゆえの荒っぽさがノートPCのスピーカーゆえに増殖され、余計に心を揺さぶる。社畜の日常でおきる、ささやかなエモーショナルな情景である。

これを実名アカウントで書くわけにはいかない。リリース前の楽曲なのだから、ヘッドフォンで聴くべきであるとの誹りを受けかねない。それは正論である。(実際、私はそうしている) 協業者に不安をあたえるかもしれないし、勤務先に迷惑をかけるかもしれない。実名アカウントとは、かくも不自由なものある。

晩秋、商売の都合でfacebookアカウントをとる。そんな経緯もあって、これは社宅の空き地なのだと知る。4・5階建ての社宅と社宅の合間のスペース、そこにて大声で唄ってみせる、そんな感じだろう。

たとえばCM制作会社の制作進行やテレビ制作会社のAD、アニメ制作会社の進行、こうした職種のひとは不遇のふりをしなければいけない。寝る間も休む間もなく仕事をしている、そんなふりを。そもそも、これらは未熟者・半端者の職種である。仕事が出来ればプロデューサーやディレクターになるのである。学校を出たばかりの未熟者である。だから失敗も多いし、連絡が遅れることもある。それを外部スタッフに許してもらわないといけない。あるいは寝ないで働いているスタッフがいるかもしれない。それゆえ、ライブにいきました・麻布十番で呑んでます…は駄目なのである。これを革命的警戒心と言う。

facebookのマイミクには、VFXプロデューサーやコンポジッター、映画監督らがいる。そんなひとたちに監視された状況で、映像について何が書けようか。(まあ、それは私が三流だからなのだが) 匿名アカウントのtwitterでは、殺人者や東映映画、類似業者との制作事情についてのやり取りが発生していて、そっちの方が実がある。類似業者との制作事情についてのやり取り…これは裏方稼業の者は実名では不可能であろう。具体的な事項を排除するのは守秘義務からして当然であるが、それゆえにどうとでも取れる内容になって、それはそれで要らぬ憶測を招くことになる。 

結局、facebookはボディコピー的な短文とURLを拾う場となる。その意味ではfacebookは、立食パーティーの軽い挨拶と簡単な会話に近い。つまりはオフラインで濃さが担保されうるニンゲン、すなわちリア充向きなのはそういう事情もあろう、か。