20世紀

杉作J太郎「ボンクラ映画魂」

斎藤陽子が青春であった。「トゥナイト2」と「スーパー競馬」の斎藤陽子である。前者は夜の学校であり、後者は週末の放送大学であった。おまけに「SASORI IN U.S.A」である。だから斎藤陽子が「スーパー競馬」を辞めた昭和74年3月に私の青春は終わるのであ…

終わっていながら終われずにいるニンゲンにとっての「キッズリターン」

ビートたけし(北野武)から「やめちゃダメだ…ねえちゃん達はティナ・ターナーのように50代になってもミニスカートにハイヒールで歌わなくちゃ」と言われ活動を再開 (wikipedia「キャプテン (アイドルグループ) 」の項より) 建てかえ前の文芸坐地下で北野…

宇多田ヒカルPV難癖ブックマーク

20世紀の終わりの私は、下を向いていきていた。なにしろ大塚銀悦の「濁世」を読んでいた頃である。大塚銀悦・国映のピンク映画・水道橋の場外、私の居場所はそんなところにあった。つまりは日蔭者であった。宇多田ヒカルの登場は、そのような私に追い打ちを…

昭和百四十六年、冬、根岸にて

静沙が、そいつは私のもとに来るヘルパーの女なのだが、静沙が書棚から「青い花」9巻を見つけ出しやがった。「これ、読みたかったんだ」 おいおい私のおしめを変えた手で「青い花」をさわるんじゃない。志村貴子先生のそれは石原4世により発禁処分となり、…

三軒の鰻屋、その想い出

どうすればOKがもらえるか、途方に暮れる経験 … さる映画監督 / 竹乃家(調布) 商売でものをつくる、とりわけクライアントワークであれば、否応なしに理不尽な要望にうんざりすることになる。たとえば世間はCGは何でもできると想いがちであるが、そんな…

虹の彼方

田中美栄子と存在しない二十世紀の記憶

*1 *1:都電荒川線の車窓

三島の鰻

早く葉桜になればいい。

○2010.04 井の頭公園(東京都三鷹市) 花見の輪の脇をすたすたとゆき、公園を抜ける。ほらほら、ここ。文人の遺体の見つかった場所の前で、女はふり返る。はあ、ここなんだ。なんでもない場所、どうということのない場所の前で。撮ってあげよっかと右手を差…

1984.08.20

出不精の子供であった。夏休みは「アフタヌーンショー」を見るための日々であった。そんな子供であった。失踪した家族に呼びかける特集、スタジオに殺人現場のセットを組んでの検証etc、稲川淳二の生き人形の語りもこれでみたと記憶する。来る日も来る日もス…

1997.06.01

あの日を想い出すに、脳裡に浮かぶ情景のひとつとして、鷺宮駅にて急行の通過待ちをする間の、車窓から入るやわらかな光を受けた女の表情がある。あの日、私は女と西武新宿線に乗っていた。その女はどんな恰好をしていたか、まったく憶えてはいない。しかし…

太田英子との蜜月

隣り合った女の左肘と私の右肘がぶつかり、その度に互いに顔を見合わせた。左利きと右利きが隣り合ったのだから仕方がない。そんなこんなで太田英子と親しくなった。バイト先で知り合った上和田義彦君のライブに出向き、その後に催された打ち上げにのこのこ…

エヴァンゲリオンとは無縁の生活

それを放映していた当時、明治大学にすら入れなかった半端者が敗北感を背負って入学する学校に通っていた。そこに行くはめとなった夜、高卒の父親はなんだ法政かと吐き捨てるように言う始末であった。予備校の講師にロックアウトでろくに授業がないときいて…

伊東豊雄による みなとみらい線 元町・中華街駅とわたしの1998年05月

○ 2009.05 みなとみらい線 元町・中華街駅(神奈川県横浜市)

小日向 ☆ 死の家の記憶。

○ 2009.05 小日向(東京都文京区)

夜の砂、六月の記憶

書くことの目的はまず第一に、愚かな自分の救済だ。 (ブコウスキー「死をポケットに入れて」81頁)

秋の福島 4レースでも走りにいくか

何にでもなれる、その可能性があるような気がしていた時代、何になるかは自分の選択だと思っていた時代、時がたってみると、ただそこに追いこまれて、こうしているほかはない自分。 (色川武大「狂人日記」) 競馬場に集まる人の群れは、仮面をはぎ取られた…

工場の消滅

おっぱい甲子園 '87

*1 *1:東京都墨田区の「隅田公園少年野球場」。少年時代の王貞治もここで野球をした。

町田康「宿屋めぐり」 その他 悪態をついて

ピクニックもろくにいけないような人生になんの意味があるのだ。そう思って俺は就職しなかった。ところが大抵の者は就職した。そのことは俺がこの世界にばまりごんで、ついにはおばはんになってしまっていることに深い関係があるのではないかとおもう。だっ…

「おれ、チャットモンチー好きなんだよね」と言える日が来るのか来ないのか

*1 *1: 三菱自動車のミニカF4(中期型・・・73年10月〜74年12月のスーパーデラックス)と想われる (http://www.ucatv.ne.jp/~hdaimon/f4-2.htm)

おれの墓碑銘を考えた。誰か彫ってくれ。

私の中のすべての七月

7月13日といえば中森明菜の誕生日であるが、もう一人有名なアイドル、同期デビューの石川秀美の誕生日でもある。秀美は明菜の1つ下66年の生まれであった。 たしか85年7月の夜のヒットスタジオだったと思う。もうすぐ誕生日ということで番組に出演していた中…

どうでもいいことについて / 阿部和重「グランドフィナーレ」

どうでもいいことについて 私の祖母は老いて外出できなくなると、一日中洗濯物の乾き具合を気にするようになった。ほっておけば乾くものを、日がなそれを気にして過ごし、庭に出ては乾き具合の確認を繰り返すのであった。阿部和重「ニッポニアニッポン」を読…