飛田新地

● 2006.01 大阪府大阪市 飛田新地
天王寺の駅から南西の方角へ、狭い商店街を抜け、やや広い通りを突っ切って更に歩きつづけたところに、それはあった。飛田の遊廓である。小谷野敦「われ遊廓を発見せり」(「軟弱者の言い分」収録)より  
猫猫先生の随筆である。大阪大学時代におおよその見当をつけて周辺を歩き回り、「ようよう発見した」とある。私の場合、とりあえず天王寺というところへ行き、本屋で木村聡「赤線跡を歩く」の絵地図を見て、その記憶を頼りに辿り着くことができた。下の写真は左がかなり天王寺よりの再開発地、真ん中と右が有名な「百番」。

和風の小さな店がずらりと並び、「睦月」とかそういった漢字二文字の屋号を示した同じ形の軒灯が掲げられ、店の入り口は開けられて、ピンク色というより桃色の灯に照らされ、まるで素人のようなお嬢さんがやや派手目の服を着て真ん中に座り、横におばさんがいる。私が通りすがりに目をやると、「兄さん兄さん」というおばさんの呼び込みが始まる。」(同上)
外国人が観光に来るのか、いたるところにカメラのアイコンに×の看板を見る。そのようなものがなくとも、とてもカメラを取り出せる雰囲気になく、かろうじて百番を収めることが出来たが、もっと立派な建物がいくつもあった。それでも通りは広々としており、黄金町や南町、堀之内と違って圧迫感なく開放的な印象を受けた。

私はその頃売春否定論者だったが、ソープや現代的な風俗とは違った飛田遊廓の古風な雰囲気には、感動してしまったのである。見た目には穏やかに見えても、娼婦の神経は荒んでいるかもしれないし、背後には暴力団がいるのかもしれない。知的障害のある娘が多いとも聞く。けれど、私の脳裡をかすめたのは、三十代後半から四十になって童貞である苦悩を訴えてきた私の読者のいくつかの便りであった。たかが男女の和合、金で購ってつまらぬ苦悩から逃れられるなら、良いのではないか。むろん私ごときが何を唱えようと現実は変わるまい。しかし、飛田遊廓の佇まいは、このような場所で「童貞の苦悩」などとおさらばできるなら、という思いを束の間抱かせたのである。」(同上)

黒岩重吾に「飛田残月」という小説がある。面白かった記憶はあるのだが、どういう筋だかはおぼえていない。

新編 軟弱者の言い分 (ちくま文庫)

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