ピンク映画と国映・佐藤啓子専務
90年代の終わり、ピンク四天王(瀬々敬久・佐野和宏・サトウトシキ・佐藤寿保)とそれに続く上野俊哉や田尻祐司・女池充ら*1が 陋巷の闇で輝いていた時代、葉月螢が女神であり、朝倉大介が黒幕であった。朝倉大介とは、ピンク映画の制作会社・国映の作品に欠かさずクレジットされるプロデューサー名であり、その役を勤めるのが佐藤啓子専務*2である。
この頃、国映・新東宝のピンク映画が改題(ex 「果てしない欲情 もえさせて!」→「青空」)してユーロスペースのレイトショウで上映されることが多かった。90年代半ばからのピンク四天王へのインテリ筋による評価がピンク映画を一般上映する動きとなったと言える。その頂点が00年06月の中野武蔵野ホールでの「P-1」(ピンク映画No.1を決めるイベント)であろう*3。
「映画芸術」00年秋号に 荒井晴彦による佐藤啓子専務のインタビュー記事がある。
周防正行の「変態家族 兄貴の嫁さん」(84)だって、おめえいつまでも青春やってるなよと言われたけど、それから周防がああいう作品(引用者註「Shall we ダンス?」)を撮っていくと、焼き直しする? とか海外に出ていく、とかね。だから、それが何年先になるかは全然わからない、わからないから面白い。
350万円でこしらえた映画を350万円で新東宝に売る*4。当然、儲からない。それでも監督がピンク映画から一般映画へと羽ばたき、一般映画で当たりでもすれば、ピンク時代のプリントの注文が来る。ソフトが売れる。そんな いつ叶うとも知れない夢に賭けているのである。映画をコンテンツと呼ぶニンゲンには馬鹿げてみえるかもしれない。しかしそうまでして作られる国映の映画でしか映し出せないものもある。
中途半端にだらけた消化試合を生きる日常に ふいに訪れた敗者復活戦、勝ったところでたいした報いはないのだが、それに賭ける焦燥感。国映の作品はこんなところか。そこにある 安アパートでロケ撮されるがゆえの日常、ろくに照明が仕込めずに光量が足りないからこその日常、あるいはゲリラ撮影でしか撮れない日常、そうした350万円の日常に、見る者は自らを同一化する。
撮る方も演じる者も喰えているのかどうかの人たちで、もちろん客は客で "労務者"がほとんどである。奇妙な同一感がそこにある。こればかりはユーロスペースやDVDでの鑑賞では再現しえない。また「泣いた」「発見」「不意打ち」「まなざし」「確信犯」だのといった空疎な言葉を並べる「批評」を寄せ付けもしない。かく言う私がピンク映画館に何度か通ったのは零落趣味を気取りたかったからに過ぎないのだけれども。
● 上野オークラ(東京都台東区)と飯田橋くらら劇場(東京都新宿区)のPOP オークラの方、配色のバランスが妙にいい。
● つい先日、ピンク映画やストリップについて書かずにはいられない衝動を湛える「乱暴者日記」(tidoさん)を見つける。更新が07年08月で停まっているのが残念。