おれのロッコー&ミッキー

なじる男

大学に入り、はじめてそこに行った帰り、道端で小松方正に出くわした。東京ってすげえと想うた。その後、名画座に通い込むうちに、小松方正*1と同様に、やたらと刑務官や刑事といった官憲の役が似合う男に惹かれるようになった。戸浦六宏である。薄笑いを浮かべながら登場し、主人公たちをなじる・なじる・なじる。それが戸浦六宏である。なじった相手に反逆されるや、腰を抜かして小松方正に助けを求める。それが戸浦六宏である。帰省したおり、母「あんた、休みは何しよるん?」おれ「映画、みにいく」母「どんなん?」おれ「佐藤慶とか戸浦六宏がでるような」母「戸浦六宏? ああ、襟のおおきいシャツ着た刑事やるひと」などという会話をしたくらいだ。母子そろって、戸浦六宏=官憲である。

杉作J太郎「ボンクラ映画魂」(洋泉社・1996)の戸浦六宏の項にも

「絞首刑」「日本の夜と霧」など大島渚監督諸作では左翼インテリのムードが漂っているが、これがどういうわけか東映では「0課の女・赤い手錠」の刑事や「女囚さそり」の刑務所員など体制側を演じることが多かった。そしてこれが奇妙に似合った。
特に「非情のライセンス」最終シリーズ。警視庁舎内で特捜部のはみだし刑事天知茂が「公安のお偉がたのおでましですか……」と言うと登場したのは戸浦六宏。カンチャン待ち一発ツモである。

私たち母子に限らず、やはり戸浦六宏=官憲であるのだ。すなわち戸浦六宏とは国家である。敬礼。

その戸浦六宏のご子息・東良美季さんのブログエントリ「有名性について、高倉さんのお線香のことなど」(05-03-18)に、こうある。

繰り返すが、僕の父親は決して無名な役者ではなかった。「笑っていいとも」のテレフォンショッキングにも出たし「徹子の部屋」には二度出て、亡くなった時には大島渚監督が出演してくださり追悼番組まで放送してもらった。

無名なんてことはないんデス。おれの青春のスターなんだから。ACTミニシアターで見た大島渚オールナイトは、おれにとっては戸浦六宏オールナイトだったんだ。それにしてもテレフォンショッキングでは一体、誰に紹介され、誰を紹介したのだろうか。佐藤慶だろうか、小松方正だろうか、渡辺文雄だろうか、大島監督だろうか。それとも「さそり」でいたぶりまくった梶芽衣子だろうか。あるいは「スケバン刑事3」で共演した浅香唯だろうか、大西結花だろうか、中村由真だろうか。知っているひとは教えてちょ。


[追記] 「いいとも」のファンサイトによると、戸浦六宏の出演は86年08月26日。その週は、糸井重里ラサール石井戸浦六宏小山明子→風祭ゆき。濃い。また、当エントリのコメント欄によればラサール石井戸浦六宏は映画の共演によるとのこと。

高笑いする男

ところで戸浦六宏wikiによると京都大学英文科卒であるのだが、おなじく国立大の英文科に通った名優がいる。成田三樹夫である。
  (02年 自由が丘武蔵野館の成田三樹夫特集上映のビラ)

wikiには「山形県立酒田東高等学校卒業。東京大学理学部に在学していたが中退し、山形に帰郷。山形大学人文学部英文学科に入学するも中退」とあるのだが、成田三樹夫の遺稿句集「鯨の目」(中野区立図書館にあるよ)の巻末にある略歴には東大に在学したとはない。
そちらを紹介しておく。(53年、東大在学中にキャッチボールでケガをし、入院・退学、翌年に山形大学に入り直したということ?)

1935(昭和10)年 1月31日 山形県酒田市御成町xx-xxに父・xx、母・xの三男として生まれる。五人兄弟。
1941(昭和16)年 4月 酒田市立光ヶ丘小学校入学。
1947(昭和22)年 4月 酒田市立第二中学校入学。
1950(昭和25)年 4月 山形県立酒田東高等学校入学。三年時、文化祭にてチェーホフ「煙草の害について」の
                一人芝居を演じ好評。
1953(昭和28)年 3月 山形県立酒田東高等学校卒業。キャッチボールの事故により網膜剥離新潟大学に勤務していた
                長兄の紹介により新潟大学病院へ入院手術。
1954(昭和29)年 4月 山形大学英文科入学。演劇研究会に籍を置く。
1958(昭和33)年 10月 山形大学英文科四年中退。俳優座養成所入所志望、上京。
1959(昭和34)年 4月 俳優座養成所第十一期入所。中野区上高田に下宿、出席日数不足の為一年留年。
1963(昭和38)年 3月 俳優座養成所第十二期卒業。
1963(昭和38)年 11月 株式会社大映と専属契約。
  (略)
1990(平成2)年 4月9日 東海大学附属東京病院にて永眠。

なお、杉作J太郎の「ボンクラ映画魂」には 「90年没。その日の「スーパータイム」ではタイトルバックに登場した。」とある。

*1: TBS「報道特集」のナレーターとしても印象深いひとである。