市ヶ谷駅、いつも通り意味もなくブコウスキー


○ JR市ヶ谷駅(東京都千代田区

この本はまったくのフィクションであり、誰にも捧げられない  (ブコウスキー「ポスト・オフィス」)

わたしは自分自身の習癖、自分自身の偏見の中にとじこもっている。自分の世界にこだわりすぎるあまり無知といわれるのだとしたら、それもいいではないか。 (ブコウスキー「詩人と女たち」171頁)

「人生の意味とは何ですか?」「否定」  (ブコウスキー「酔いどれ紀行」149頁)

わたしの感情はといえば、不具者や責め苦に苛まれた者、呪われた者や堕落した者に歩み寄る。それは同情などからではなく、同胞意識からだ。何故ならわたしも彼らの一人で、堕落し、途方に暮れ、はしたなくてさもしく、怯えていて、臆病だからだ。 (ブコウスキー「酔いどれ紀行」151頁)

…その死に関しては、(臆病なわたしにしては)ほとんど恐れてはいなかった。わたしにとって死はほとんど何の意味もない。次から次へと続くひどい冗談の最後のひとつにしかすぎない。 (ブコウスキー「酔いどれ紀行」152頁)

どうして俺は、家で夢中になって野球を見てるような普通の人間になれないんだ?  (ブコウスキー「パルプ」203頁)

抜け出そうにも抜け出せない。抜け出したい気さえ失せちまう。で、思いきって抜け出す。すべてご破算にして。そのなれの果てが、いまの俺だ。じっと座って雨音を聞いている。 (ブコウスキー「パルプ」231頁)

「タイトルは?」 「『我が宿命の漏れやすい蛇口』です」 「うん、いいね。なんの話?」 「すべてについてです」 (ブコウスキー「勝手に生きろ!」066頁)