東向島・墨田・八広・向島


○2005.01 東向島(東京都墨田区

陰惨な、暗い、絶望と宿命の折りかさなっているような、侘びしい土地であったが、それでいて、吉原などのような伝統と型にはまった感じはなく、むしろ一種独特な自由で明るい空気は、その日くらしを通して溌剌たる新鮮さにみちていた---時代の相違ともいえるが此処では瞬間があって永遠がない。だからこそきれぎれの時間がひとつひとつの永遠を表象しているともいえる。」  (尾崎士郎「人生劇場 残侠篇」)

田豊玉の井という街があった」(立風書房)より孫引き。南喜一(艶歌師・共産党員から国策パルプ会長になった人物)が玉の井銘酒屋組合に対抗する「女性向上会」をつくり、「玉の井戦線ニュース」を発行する話などが面白い。

ほか、玉の井では永井荷風「墨東奇譚」、高見順「いやな感じ」、滝田ゆう「寺島町奇譚」、鳩の町では映画「渡り鳥いつ帰る」などがあるが、今現在のこのあたりを収めた写真集に中里和人「長屋迷路」がお勧め。

メモ:玉井のドブが暗渠となるのは昭和14年、寺島町が東向島5・6丁目になるのは昭和40年、東武線の玉ノ井駅東向島駅となるのは昭和62年。

以下は東向島・墨田・八広・向島、この隅田川と荒川に挟まれた地域の写真。

○ 2003.11〜2005.01