平成四十一年、晩夏、太海にて 

平成四十一年の晩夏、勤め先の金1.600.000.000円ちょうどを横領、かたことの日本語を喋るおんなと逃避行に出たものの、六日目の朝に目覚めると、そのおんなに持ち逃げされており、どうにか財布に残っていた銭金を頼りに国道をさまよう。彷徨五日目、くたびれ果て、外房・太海、民宿に入る。ラウンジで缶ジュースを買うかどうかと小一時間悩んでいると、私よりもいくばくか若い男が申し訳なさそうに話かけてくる。「あのう 野球…って知ってます? 知ってますか! 川端は?清川は?山根は? …じゃあ秋村は? そうです、宇部商出身の秋村です。なんだ、詳しいじゃないですか。ここはひとつ、昭和生まれ同士、ファミスタファミスタをやりませんか?」

その男、自転車で神奈川から来たという。つちのこを避けそびれて転倒し怪我を負い、ここに留まっているという。暇をもてあまし、宿のなかを物色するうちに都合よくファミスタを見つけ出したのだという。しかしながら泊り客に片っ端から声をかけるも誰一人、ファミスタどころか野球を知らない。畜生め、平成生まれ。そんなおり、どこからともなく、中森明菜十戒」のイントロを唄っているのが聞こえる。♪ちゃーちゃちゃーんちゃっちゃっちゃちゃちゃ 昭和だ。昭和が聞こえる。その声の主こそが私であった。鼻歌交じりに自販機の明かりでサンスポを読んでいる私がいたのだ。

カープ、選んでいいですか」「どうぞどうぞ。私は阪神です」 そうだ、私は阪神ファンなのだ。ひさしぶりに自らがそうであることを意識する。そうして"きたへふ"と"いけだ"の先発で試合は始まる。

2回の表、打席には「おさない」がたつ。
「長内って、青森県出身で唯一100本塁打を記録したって知ってます?」
「昔どこかで読んだことがありますね。ちなみに長内って青森で生まれたってだけで、本当は神奈川なんですけどね」

そんな風に20世紀の野球の豆知識を披露しあいながら、ゲームを続ける。

「愛甲は、耳あてのないヘルメットで打席に立った最後の選手なんですよね」
鈴木孝政は、長嶋茂雄・一茂親子と公式戦において対戦した唯一の投手って知ってました?」
長嶋清幸って、史上唯一、日本シリーズMVPながらオールスターゲーム出場経験皆無で引退した日本人なんですよね」
「悲運の名将・西本幸雄は、プロ野球史上2人しかいない左投げの二塁手って知ってました?」
「フランク・マンコビッチ」
石嶺和彦は通算盗塁13回にしてホームスチールは2回も成功って知ってました?」
「一方で世界の福本豊はホームスチールは1回。通算1065盗塁もしているのに」
野村克也にいたってはホームスチールを7回も成功って知ってました?」
「その野村から1イニング3連続盗塁のパーフェクトスチールを決めたのが島田誠
「フランク・マンコビッチ」
平松政次って、甲子園優勝投手で、投手として名球会入りしたのは唯一の選手なんですよね」
「おまけに戦後200勝以上の投手のうち、優勝経験がないのも平松政次のみって知ってました?」
「最後の総会屋・小川薫は『カープファン』の発行人で、ピンクレディーの事務所の社長だったんですよね」

朝を迎えた。私たちは最後までレイルウェイズを選ばずじまいであった。男にしてみれば、私に遠慮していたのであろう。私は私で栄光の阪急ブレーブスをこんな落ちぶれたニンゲンが選んではならないと思ったのだった。別れ際、「17勝19敗、あなたの勝ちです。これで飯でも食ってください」 男はそういって松屋のタダ券5枚つづりをくれた。ほんとうは男の勝ち越しであったのに。そのやさしさに涙がでた。 … 「フランク・マンコビッチ」「フランク・マンコビッチ」、そう別れの挨拶をして、互いに違う方へと向かった。

これはgoldhead氏と私の、20年後の物語である。


via http://b.hatena.ne.jp/urbansea/20090707

文中のどうでもいい野球の豆知識は、私のブックマークのタグ wiki・baseballから拾った。