三軒の鰻屋、その想い出

どうすればOKがもらえるか、途方に暮れる経験  … さる映画監督 / 竹乃家(調布)

商売でものをつくる、とりわけクライアントワークであれば、否応なしに理不尽な要望にうんざりすることになる。たとえば世間はCGは何でもできると想いがちであるが、そんなことはなく、3DCGIの場合、レンズの影響を受けるために表現に制約が生じる。そんなことお構いなしにあれこれ言ってくる。広告主に限らず、代理店だろうがディレクターだろうが言ってくるのである。これを理不尽として拒絶しては商売にならない。そうであるように見える、で対処していかなくてはならない。技術と見え方との折り合いをつける作業である。…これはいささかネガティブな要望であるが、中島哲也のように純粋にスタッフへの要望の水準が高ければ、当然にどうすればOKがもらえるか、途方に暮れることになる。そのようにして、映像はできていくのである。そんなビルがうまい具合にあるのかいなとロケハンに明け暮れたり、映画から地雷の爆破シーンを延々と収集したり、ふくらはぎのオーディションをしたり、うんざりするほど理不尽な要望に、あるいは高いそれに、来る日も来る日も、だ。クリエイティブなんて軽やかな言葉の川下では、そのような地べたを這う作業が行われているのである。昨夏、「どうすればOKがもらえるか、途方に暮れる経験」が大事であることを、CG制作会社出身のさる映画監督が竹乃家の座敷で話したおり、私はそれまでただしんどいだけの日々くらいにしか想えなかった過去のある時期が報われた気がした。



ここの鰻、食べたこと、ないんですよ  … 元上司 / しき(麻布十番) 

打ち上げをこの店で行った折り、白焼きなどをつまみながら呑み始めた。なにを喰っても旨かった。代理店の誰かが鰻重を喰いたいと言いだし、鰻の蒲焼きも旨いんでしょうねと、この店を選んだ私の上司に話しかけると、彼は「ここの鰻、食べたこと、ないんですよ」と言い放った。彼はこの店の常連であったのだが、肝心の鰻を食べたことがなかったのである。鰻屋で鰻を食べない彼に、私は何を教えられたのであろう。


喉から手が出るほどカネが欲しいと想うようになれば  … 元上司 / 稲がき(新橋)

地方の工場労働者の家庭の育ちで、それに相応の みっともない学校を出ながらも、ありがたいことに今日まで自殺することもなく、おまけに正規雇用の身であるのだが、そうであるのは「夜の砂、六月の記憶」の男のおかげに想う。酒麻雀競馬で時間を食いつぶす生活をしていた私をひきとってくれたのみならず、商売として映像をこしらえることの礎を教えてくれたのである。二十世紀、その男に新橋の鰻屋「稲がき」に連れて行かれたのだが、そこにて彼の来し方を聞かされる。輝けるCMプロデューサーの歴史であった。その流れで「君も、喉から手が出るほどカネが欲しいと想うようになれば、稼げるプロデューサーになれる」と言った。せいぜい週末の馬券代がありさえすればいい程度の金銭欲しか持ち合わせていない淡白な私をみかねてである。喉から手が出るほどカネが欲しいと想うようになるには、女か借金だ、と彼は続けた。これは真実だろう。

ちなみに私の一期下では、無職なのにクルマを買ったので銭金が要るから、という志望動機のニンゲンが採用された。