昭和百四十六年、冬、根岸にて

静沙が、そいつは私のもとに来るヘルパーの女なのだが、静沙が書棚から「青い花」9巻を見つけ出しやがった。「これ、読みたかったんだ」 おいおい私のおしめを変えた手で「青い花」をさわるんじゃない。志村貴子先生のそれは石原4世により発禁処分となり、所持がみつかるとそれだけの咎で択捉島に流刑となるので、なかなか手に入らない。だから静沙にとってはお宝かもしれないが、私にとってはそれ以上のものなのである。

今日を生きられない、そんな日々、かつての私の未来には「青い花」だけがあった。「青い花」の新刊が出るのだけが未来にあった。万城目さんが「あーちゃんと一緒にいたいの」と言いだして、逗子市役所に就職した奥平あーちゃんから離れたくないがために、筑波大学を中退して横浜国立大学に入り直す9巻、これにどれほど涙したことか。

それを静沙に見つかっては、もう恥ずかしくて生きていはいけない。 … 死のうと想った。しかしまだ最終巻と噂される16巻を読んでいないのである。せめてそれを読んでからでないと死ねないではないか。むだに生きながらえてきた私であるが、それくらいの望みくらい叶えたっていいではないか。

昭和百四十六年十二月、私はそれを求めて横浜に行くことにした。なにしろ横浜は地下出版の聖地である。あの街に行けば「青い花」の結末を読めるに違いない。それを読んでから死ぬのである。えらいだろう、杉本先輩。横浜では、県庁所在地を川崎市から奪還するための運動が激しくて、フライコールを名のる若者達は川崎市からの観光客を見つけると片っ端から殺害していた。そんな横浜は半ば治外法権化していたために、地下出版の聖地となっていたのである。

いつまでも寝たきりじゃしょうがない。6年ぶりに立ち上がった私はアパートを出た。死ににいくというのに、私は生気に満ちていた。外の光は眩しかった。そう、奥平あーちゃんがはじめて藤ヶ谷に登校した朝のようだ。「おじいさま、おはようございますっ」 近所のクソガキが挨拶してくれた。輝ける私の最期への、はなむけの言葉に想えた。

昼過ぎ、関内駅を出ると、噂通りフライコールが川崎市からの観光客を殺害していた。そんな町だけあって「青い花」16巻などすぐに手に入った。有隣堂にふつうに売ってあったのである。なんのことはなかった。せっかくだから鎌倉まで足をのばし、ひさしぶりに極楽寺へいこうかとも想いもしたが、すでにくたくただった。なにしろ6年ぶりの外出、いやそれどころか久しぶりの二足歩行をしたのであるから。仕方なしにボートピアを目指した。あそこならお茶も飲めるし、暖房も効いている。昔、誰かにそう習ったのだ。そんな場所があることを。そうして寿町などというおめでたい名前の街を歩く。ちっとも寿な感じがしないのが、かえって居心地よく想えた。たしかこの街のコンビニには軍手がたくさん置いてあるんだっけな。それも誰かから教えてもらった。ひょっとするとボートピアのことを教えてくれたのと、同じニンゲンだったかもしれない。

田村隆一さんじゃねえのか」 首からSONYのアルファをぶらさげた爺さんに声をかけられた。この町にはいささか不似合いなカメラだった。この爺さん、以前、どこかで会ったような気がする。そうだ、千葉だ。千葉でその昔、一緒にファミスタをやったのだ。野球とかいうスポーツのゲームだかなんだかだ。 … 田村でも隆一でもないんだが、それよりさ、昔、私とゲームしなかったか。「何言ってんだ、わたしゃ神様だよ」 そういって、アルファ爺さんは私にレンズをむけてシャッターを切った。「おじいちゃんにも、セックスを。」「おじいちゃんにも、セックスを。」 われわれはそう声をかけあい、互いに違う方へと向かった。

ボートピアはなんだか清潔で整然としており、まるで「カッコーの巣の上で」のような場所で、かえって落ち着かなくて、とても書籍を読むような場所ではなかった。仕方なしに私はバスに乗った。適当に乗ったのでどこ行きだか判りはしなかった。いまさら、"どこ行き"もなかった。どこでもないどこかで、ただ腰が下せて、「青い花」が読めればそれでいいのだ。こんなことなら、あんなところに立ち寄らずに、さっさと鎌倉にいけばよかったと想いもしたが、ふりかえれば、私の人生など、ずっとそんなだったではないか。

たいぶ日が落ちてきた。バスの車窓からレンガ造りの建物が見えた。ああ、あそこがいいな。あそこで「青い花」でも読んで、そのままくたばっちまおう。私はあわててブザーを押した。

小さな丘をのぼると根岸競馬場跡と書かれたプレートがあった。そうか、ここは競馬場だったのか。レンガ造りのはスタンドの一部で、馬場はすでに原形をとどめず、ひと稀な広場になっていた。競馬なら私もよく知っている。ラガーレグルスという馬が好きだったんだ。そいつの母母母はヒサエという名前だった。私の初恋の女と同じ名前である。どうだ、詳しいだろう。わざわざ十二月の風にされされるような土手っぷちの地べたに私は腰をおろした。

「やっぱりスプリンターズステークスは12月ですな」 振り返ると、さっきのアルファ爺さんが競馬新聞をひろげている。馬鹿いってんじゃねえ。12月のスプリンターズステークスなんてひどいもんだ。あの日、いつまでもモニタを見上げ続けた熊沢を想いだすじゃねえか。たった1cm差で敗北した熊ちゃんを、さ。 … 暮れ方の広場では、子供が数人走っているだけだった。

「なあ、あんた。昔おれとファミスタやらなかったか」 やはりそうか。あの時の男か。…やったような気もするし、そうでない気もする。私はそれだけ言って、「青い花」を広げた。読み進める私の背後で、アルファ爺さんは競馬新聞を広げて、田原とかいうやつの転落について独り言を言っていた。「一瞬で終わらない破滅もある。田原がマヤノの勝負服着てピカピカ光ってたのなんて、昨日のことのように思えるが、またえらく遠くも感じる*1 いいこと言いやがる。「ストローで酒を飲むと人生が駄目になる。*2どうだい、あんたも呑むかい?」今さら、駄目になりようもなかった。 … 「青い花」の最終頁は「ふみちゃんはすぐ泣くんだから」で終わった。はじめてこのセリフを聞いたのも、昨日のことのようにも想えるが、またえらく遠くにも感じる。読み終えて書籍を閉じるのに合わせ、「なあ、ぼちぼち、はじまるよ」とアルファ爺さんは言った。

杖で広場の方を指しながら続ける。「あんた、なにが来ると想う? 大崎はいないよ。ほら、おれはこれだ。ひもは角田を厚めに買ったんだ」 いったいなにが始まるというのか。数人の子供がいるだけの広場を見た。西日がまぶしいだけだった。それは久しぶりに見る夕日だった。

やがて西日が私の網膜を焼き、ゆるやかにまどろんでいく。脳が静かにとまっていくようにも想える。うつろになっていく私の耳にはファンファーレが聞こえ始める。やがてゲートはひらき、的場が逃げ、熊沢が出負けし、十二月のスプリンターズステークスが始まった。残光のなかで、私の競馬が始まったのである。ニホンピロスタディが無事ゴールすることを祈りながら、私はゆっくりと横たわった。



以上は、「平成四十一年、晩夏、太海にて」(2009_07_08)の続きである。