映画「海炭市叙景」

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映画「海炭市叙景」、その舞台である海炭市から西に40キロ、私はそこで生まれ育ったはずである。原作の文庫の解説にて、川本三郎は「この小説を読むと誰もが自分の住んでいる町と、そこで働きながら生きている人々のことを愛おしくなるではないか。」と書く。架空の町に自らの暮らしをそこに見つけ出せる…ということだろう。しかし私に限ればそんなことはない。海炭市はいささか大き過ぎる。原作者の故郷・函館市がモデルであり、ロケ地であるから仕方がないのかもしれないけれども、そこは私の生まれ育った本州の西端のどこよりも大きい。

プラザ合意による円高不況のあおりでコンビナートの一郭の工場が閉鎖されると、そこの家庭の子供がごっそりと消えた。麻雀や飲酒くらいしか愉しみのない高校生活を過ごしたのだが、あのままその地で暮らしていたならば、それにパチンコくらいしかくわわるものがなかったに違いない。そのような薄い絶望が約束された地と対峙し続けた私にとっては、親近感を抱く映画ではあるけれども、それにしてもこの海炭市は都会である。だから海炭市からは疎外感を覚えてしまう。

すなわち、私は海炭市の住人ですらなく、ずっと外れた町に暮らす者なのである。海炭市よりも随分と小さく、より灰色の空の町である。著名人を出しもせず、大きなお祭りもない。ただ春になると、少なからぬ18歳が町を出ていく、誇るべきものはなにもない、そんな町である。…いや、ひとつだけあった。

霧月工業高校、その町にはそんな高校があるはずだ。この高校は昭和五九年の夏に甲子園を沸かせる。部員14人にして初出場ながらも2回戦まで進み、そこで桑田清原のPL学園高校と仕合する。この強者を相手に6回の裏まで2−0とリードしていたのだが、打ち取ったはずの今久留主成幸の打球は、遊撃手・石川知裕の手前でイレギュラーバウンドをしてしまい内安打、そこから歯車が狂い、夢はついえてしまう。…この夏の出来事だけが市民の唯一の誇りである。そんな町である。市の図書館にも本屋にも澁澤龍彦なんて一冊もなくて、競馬よりも競艇が似合う、そんな町である。


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ユーロスペースにいくのは久方ぶりで、調べると2001年01月27日に小沼勝特集にて「さすらいの恋人 眩暈」を見て以来だから十年ぶりである。すなわち現在のラブホ街の入り口に移転してからは初めてである。しかし十年って月日はすごいな。十年前、すなわち昭和七六年といえば、私のケータイはJフォンで、COCCOはその春にステージを去り、鬼束は健康的で、くるりは大勢いた頃である。当時の私はまだ二十代で、国映のピンク映画を熱心に見ている頃でもある。角田はまだ現役で、熊沢の乗鞍は多くて、競馬だって楽しかった。いつかpartizan所属のディレクターと仕事できる日がくれば…などと想ったりもしていた。まだ未来があったのだ。

なんてことを書くうちに、こんな言葉を想い出したりもする。

何にでもなれる、その可能性があるような気がしていた時代、何になるかは自分の選択だと思っていた時代、時がたってみると、ただそこに追いこまれて、こうしているほかはない自分。」  (色川武大狂人日記」福武文庫156頁)


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映画の感想である。南果歩が圧巻であった。生理が上がった直後の女に想えた。怖ろしかった。加瀬亮も素晴らしい。彼はガス屋の社長、といっても有限会社であるけれども経営者である。妻にも男性社員にも暴力的な男なのであるが、年上の事務員の女に対しては丁寧な言葉で話す、その演出・演技に はっとさせられる。撮影をいえば、フィルム撮りゆえの粒子感と、色温度低めの明かりが面白く表現されていた。函館の夜の遠景は切れが悪く感じられた。8mm撮影のインサート、通常は主観的(撮る側あるいは撮られる側の)な使い方をするものであるが、この映画は純粋な回想として用いている。ぼったくりスナックの女たちの会話の世間の狭さ、見事に私が嫌いな「地元」を見せている。海や寒風、産業道路をゆく大型車輌、高い音圧のそれらがこの映画にはないのが物足りない。ピストル・谷村美月のお話、原作ではありったけの銭金をかき集めて初日の出を見にでかけるのであるが、それが映画だと小銭しか持たずにふらふらと出かけてしまっているようにしか見えない。最後に路面電車に各々が乗り合わせる。人生は偶然の十字路であり*4、その十字路でたまたま一刹那に居合わせる、そこにいたる物語を欠いている。


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ところで、山口県の高校が甲子園を初めて制したのは柳井高校である。板東英二徳島商業を打ち負かしてのことである。その柳井高校の投手のその後を聴かない。数年後に再び山口県代表が優勝する。その投手の名は池永正明、この地の戦後最大のスターだろう。しかしながら柳井高校の投手は? そんなことをこの正月、ひと稀な山陽本線の車中にて想う。


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*1:川口オートレース場

*2:多摩川競艇場

*3:山口県下松市江の浦

*4:「私の知るかぎりでは、人生は偶然の十字路であるゆえにすばらしい」(エリック・ホッファー「波止場日記」)

*5:山口県防府市富海

*6:東京都江東区