終わっていながら終われずにいるニンゲンにとっての「キッズリターン」

ビートたけし北野武)から「やめちゃダメだ…ねえちゃん達はティナ・ターナーのように50代になってもミニスカートにハイヒールで歌わなくちゃ」と言われ活動を再開  (wikipediaキャプテン (アイドルグループ) 」の項より)



建てかえ前の文芸坐地下で北野武「キッズリターン」を見たのは昭和71年12月のこと、帰りにストリップ小屋近くの福しんで飯を喰ったことを覚えている。その前の週末、ひいきにする騎手・熊沢重文の手からわずか1cm差で栄光がこぼれ落ちた。まあそのうち、と想った。しかしその後も掴みかけた栄光を落とし続けた。そんなことを繰り返すうちに、私は熊沢騎手からも競馬からも興味を失っていった。

「俺たち終わっちゃったのかなぁ」 「ばかやろう、まだはじまっちゃいねぇよ」 この映画の有名な会話である。 …当時の私はまだ20代であった。そんなこともあって、いいセリフだなと、ひとなみに想った。田舎者のため、東京に行けば世界が広がり、何かが勝手に始まるものだと想い込んでいた。けれども自ら始めようとしない限り、なにも始まりはしない。もちろん私は自ら何も始めはしなかった。そんなニンゲンにとってお誂えの励ましの言葉であった。

あれから随分と時が経って、ふいにこの映画のモロ師岡が気になった。うだつのあがらない老齢ボクサー・ハヤシが、である。*1かつて新人王を獲得したボクサーもジムのお荷物になっていた。練習しては一服する有り様である。「呑めよ」「酒とか煙草とか駄目なんじゃないんですか」「そんなの関係ねえよ。呑んでも喰っても後で吐けばいいんだよ。舌は覚えてんだから…呑めよ」 中華食堂で、そうやって将来あるボクサー安藤政信を堕落に誘う。正月の情熱大陸貴乃花親方であったが、稽古場で弟子にこう言っていった。「自分の考えを捨てろ。まだ早い」  峠を過ぎたボクサー・ハヤシは安藤政信にハヤシの流儀、すなわち自己流を教える。ニンゲンは馴れるにしたがい自己流に堕ちていく。駅員のおかしなイントネーションのアナウンスのように。頭打ちになれば、なおさらである。こうして非凡は凡になる。

私がモロ師岡を想いだしたのは、職場に日芸からのインターン生がやってきた際に、である。輝ける可能性をもった若者を前にいささかの嫉妬を覚えたのである。モロ師岡も私も、将来のある若者がまばゆくてたまらないのだ。だから終わっていながら終われずにいるこの映画のモロ師岡が気になったのである。残念ながらこの映画ではモロ師岡をほり下げてはいないし、別冊新潮45「コマネチ!」収録の小説「キッズリターン2」にも登場することもない。初見の昭和71年でも今日においても、この映画があまりしっくりこないのは、モロ師岡の行く末が描かれていないからかも知れない。十四年前にして すでに終わっていた私は自らの行く末を見たかったに違いないのだ。

だがやめる自分は見たくない。
それがなぜなのか 自分でも よくわからないけれど。 (杉作J太郎「ヤボテンとマシュマロ」メディアワークス1999年刊 175頁)

… この頁のこのコマを、時々想い浮かべる。

何にでもなれる、その可能性があるような気がしていた時代、何になるかは自分の選択だと思っていた時代、時がたってみると、ただそこに追いこまれて、こうしているほかはない自分。」  (色川武大狂人日記」福武文庫156頁)

… つまりは、この有り様。


[追記] なお、(脚本上の)シーン0は満員の客席を前にたつコンビ南極55号。高校時代からコンビを続け、客がガラガラの舞台にもたち(シーン83)、それでも辞めなかったふたりの栄光。シンジ・マサル・会社員になったヒロシ…彼らの破綻を見せるながれで、ふたたびシーン0。(114と115の間に再び0) ストリップ劇場のエレベーター係から這い上がったたけしの本音がここに見える。それは当エントリの冒頭の言葉に通じる。

*1:日本映画専門チャンネルのホームページで連載されている快楽亭ブラックのコラムによると、この役どころはもともとホステスだったが、『オンナで堕落するんじゃ当たり前すぎて面白くない』という北野武監督の意向で、急遽、モロ師岡のキャスティングが決定し、撮影当日に台詞を決めて即興で演じることになったのだという。」(IMITATON GOLD 2005-12-10