愛のうた

年度末の修羅場に3月11日の地震でもって諸々が瓦解したかに想えたが、何故かしのげる気配にある。おかげでこうしてブログなんぞ書いていられる。こういう厳しい事態になるたびに、田町の豚しゃぶ屋で、ある男が私に向けた笑みを想い出す。「この仕事、30年以上しているけど、撮影できなかったことは1回もないよ。だから心配すんな。…いや1回あったな。×××××(海外アーティスト)が来なかった。あれは代理店のせいだから」 いわゆる9.11の前日、国内初のBSEの牛が発見され、巷では豚しゃぶが流行っていた。そんな秋のことである。

私の勤務先は東大・京大・一橋・早稲田・慶應が30%くらい。その全員が出勤しない。明治・立教が来たり来なかったり。法政、毎日出勤(おれ)。私はこの惨禍に、静寂な都心のオフィスで、ふいにそんなことを考えた。 (はてなBM 2011-03-18

がらんとしたフロア、缶コーヒー、エレファントカシマシ、いつもの休日出勤のような日々。いつもと違うのはエアコンを切っているので寒いくらい、か。とはいえ、それが延々と続く倦怠感。自宅待機者がほとんどで、ばかばかしく想いながらも、連日出勤したのには訳がある。

このような事態に、「コンテンツビジネスの我々になにが出来るか」「こういう時こそエンターテイメントを」などと言う者がいる。しかし、そんな大きな話ではなくて、フリーランスのスタッフを喰わす、これがまず大事だろう。大きい話をしている連中が自宅待機、ちゃんちゃらおかしい。  (twitter 2011-03-15

福島原発の行く末を世間が見守る最中、私は9.11の頃のことを想い返していた。


9.11、そのせいでCM業界は修正・改訂ラッシュとなった。写っていてはいけないものをinfernoで消す。あるいは表現を変える。これも駄目なの?ってものまで消したりなんだりしたのであった。面白い話を具体的に書きたい気もするが、それは止そう。

その当時、結果的に9.11の影響でお蔵入りするCMの制作中であった。あるものがある場所に突き刺さる、そんなCGがメインのCMであった。だから9.11はわれわれにとって悪い冗談のような出来事であった。当然、時節柄、オンエア不能であることは明白であった。ところが、そこからわれわれは粘り始める。完成させ納品しないと儲からないのである。請負の宿命である。9.11を連想させなければいいのではないか、との了見で、CGをいじりまくり始める。代理店も「これくらいなら」と広告主を説得する。仮レンダリングで書き出しては試写に出す。それを突き返される。そんな徒労を繰り返していた。

9.11当時、ビルから放射状に破片が散るのを、CG屋がきれい過ぎると笑っていたのを想いだす コメント欄>>リアリティというのは実のところ、馴染み深さに左右されるもの  (はてなMB 2008-07-12

これはちょうど、その作業の最中の話である。逆に、このたびの津波は、作り物のそれと違って、黒く汚かった。ここ数年、流体のCGが進歩しているが、それが所詮、馴染み深い水を演算によって創り出しているだけである。


修正・改訂ラッシュが終わると、つまり10月に入るとCM業全体が冷える。電通博報堂は北米での海外ロケを禁じる。それ前提で動いていた企画はすべて中止になった。渡航可能な地域においても荷物検査が厳しく、フィルムについてもX線をかける方針を示していて、ロケなど実質無理であった。まだSONYのシネアルタが信用されておらず、撮影はフィルムが当然の時代である。北米・欧州への渡航が厳しくなると、企業の目は中国に向く。ところがその秋、中国では反日気運が高まっており、ビザが降りるか微妙なのでスタッフを多めに申請させて通ったひとで撮影を…という無茶なアイディアが現地コーディネーターから示された。入国出来たディレクターと撮影技師で撮影します…そんなスタッフィングは現実的ではなかった。しかし隣の席の男は、その調整を試みるはめとなったりしていた。

なにからなにまでが徒労であった。働いても働いても一歩も進まない。会社中がそんな雰囲気の中、隣の席の男は領収書の整理をしながら、「愛のうた」をつぶやくように唄っていた。ちょうどその頃CMで流れていたピクミンのCMソング「愛のうた」である。 … 会社以外に居場所のない私は、ここ数日、これを聴いている。



ちなみに9.11の二日前に相米慎二が死んでいる。著名人の死をとりたてて哀しまない私だが、この人の死は哀しかった。ブルーザー・ブロディゲーリー・オブライト大杉勝男桂枝雀、それからこのひとくらいである、私が哀しいと想ったのは。