孤独な世界の終わりとハードボイルドワンダーランド


○2011-04 浦和競馬場(埼玉県旧浦和市) 


チャールズ・ブコウスキーが友達になってくれたなら、私は彼をここに連れてこよう。「ブコウスキーさん、ここからトロットサンダーという馬が出ましてね…」

昭和七二年の四月の終わり、田原が堕落するたびに顧みられる天皇賞の前日、東京の二千でオレンジピールが快勝する よく晴れた土曜日の午後、サンスポの青が映える日差しのなかで、メジロランバダの相手をさがす幸福な時間。その永遠の記憶。 …今日は天皇賞の前々日。あの頃と違って、私には何の希望もない。

このレースでドルフィンボーイが死んだ。このレースを勝ったホクトベガはやがてドバイで死ぬ。そしてマーベラスクラウンは、こないだ死んだ。  (○内○外日記「マーベラスクラウンの死」2007-06-05


かつて、私の居場所は大井武蔵野館など名画座の闇と、湿気っぽいサークルの部室、それと水道橋ウインズA館の8階であった。今の私には自室と会社しかない。そんな私は別の居場所を求めて、こうして浦和競馬場にいるのである。私には群衆の中の孤独と缶コーヒーがありさえすればいい。

いちばんいいのは、ひとりぼっちだとしても、まったくのひとりぼっちではないということだ。 (ブコウスキー「死をポケットに入れて」26頁)

われわれはクズ馬券のごみだめのなかで終わるようになっている。それを死といおうが、誤った人生といおうが、かまいはしない。 (ブコウスキー「町でいちばんの美女」188頁)


ここ浦和競馬場にはカメラをぶら下げたニンゲンが割りといる。写真が撮れるというのは、すなわちリア充度が高い場所ということである。寿町に近い雰囲気を湛える川口オートならば、そうはいかないのである。

いくあてなどなかった。でも歩いていると、なんだか目的を持って行動しているかのような気がしてきた。むろん錯覚である。裏通りにいたってしょうがなかっただけだ。 (ブコウスキー「ありきたりの狂気の物語」009頁)