葉山


○ 真名瀬バス停(神奈川県葉山町


本州の西端、そのコンビナート地帯にあってはありふれた、高卒の工場労働者の家庭で私は育った。小学低学年の頃、テレビで勝田清孝が警官を撃ったとのニュースを見たあくる日から、新聞の社会面を読むようになる。新聞を読む息子に両親は喜んだ。ただ犯罪者が好きなだけであったのだが。小学校の中ほどになると、親が買って帰る週刊誌を読むようになる。週刊宝石週刊ポストが多かった。竹久みちと大久保利春に興味が向いた。

そんな風に活字体験を重ねていった。それが私である。goldhead氏のように親の書棚から吉本隆明をひっぱりだすなどとは無縁の生活であった。親の貧しい書棚にはボイラー技士試験のテキストなどが並んでいる、そんな家庭であった。

三流私大に入る。東武伊勢崎線沿いの女にドナルド・バーセルミを薦められる。誰だよ、そいつは。南関東出身者たちはメタフィクションを好んでいた。

「えっ 『いやいやえん』知らないの?」 なにかの拍子にそんな児童書の話題になった。もちろんそんな書籍を知らずにいた。そりゃそうだ。勝田事件が活字へ入り口だったのだ。子供らしい読書経験などとは無縁である。

要するに私は田舎者のうえに、育ちが悪いのである。

カネ持ちの町、葉山を歩く。防波堤ごしに釣りを楽しむ女と男。釣りをするカップルほど仕合わせそうな男女は他にあるまい。そのかたわらで缶コーヒーをすすりながら、著作権法の書籍を読む。

そんな私のそばで、気がつくと見知らぬ小さな子供が絵本を開いていた。ちょこんと座ったその子は仕合せのカタマリに想えた。後にも先にも得ることのない仕合せの。