志賀理江子「螺旋海岸」


せんだいメディアテーク(設計:伊東豊雄) 宮城県仙台市

昨秋、志賀理江子の写真展「螺旋海岸」を見に、宮城県仙台市せんだいメディアテークにいく。仙台は巨大な池袋であった。かつてトゥナイトだかトゥナイト2で山本晋也が仙台をレポートした際、東京の山手線が凝縮された町…のようなことを言っていたが。志賀理江子展、午前に1時間、夜に1時間、その場を徘徊。ベニヤ板に貼り、林立させた展示方法の会場は、見て回るというより、「徘徊」が語彙としてふさわしいのである。自然光がたっぷり差し込む会場では、その影響を受ける日中と夜とでは随分と違うものであった。また立ち位置により随分と写真の見え方が違う。写真越しに写真が見え、まわり方により生まれるコンテキストが違ってくる。回っても回っても発見がある、そんな展示であった。仮設感のある展示による一回性の空間ゆえ、立ち去りづらい、そんな写真展であった。あるいは、地震で天井が崩落した建物、伊東豊雄と公共性、津波の地の写真、そうした磁場のチカラ。また会場で車椅子の老人を押す女性がいた。他でもなく志賀理江子であった。塩釜の海に近い集落に仕事場を設け、その地のカメラマンとして住人を撮って回る。そして津波である。車椅子の老人はまさに塩釜のひとであった。老人と志賀理江子は一点一点の写真を語らう。そこにおいて、写真は芸術である前に記録である。