おかしな夢の記録

しかし考えてみれば、われわれはみんな哀れである」 (グレアム・グリーン「第三の男」のお終い)

つまるところ、私が好きなお話はこのようなものであって、善−悪や勝者−敗者のお話ではない。たまたま居合わせた敗者と敗者の物語、相米慎二の「ラブホテル」や三隅研次座頭市物語」がそうであるように。
以下は競馬に関する記述であるが、G1馬なんて出てきやしない。私におかしな夢を見させてくれた競走馬のことを、忘れないうちに記しておく。ただそれだけである。

サンデーブランチ 有馬記念前の追い切りで熊沢が落馬したのだが、サンスポに「調教で落馬した熊沢は買い」のジングスが書かれており、私は自信を持ってサンデーブランチを買ったのであるが、重賞未勝利の馬がそんなジンクスごときで有馬記念を勝てるはずがないじゃないか。

センターフレッシュ 角田がダービージョッキーになる日を夢見ていた私は、21世紀など待ってはいられずに、この馬にその夢を託した。いや、託しすぎた。前走がベンジャミンSの馬を、ダービーで買ってはいけないのである。

タヤスメドウ SSxダンサーズイメージは渋った馬場に強いことに気づいた私に、絶好の好機がやってきた。1998年京都新聞杯である。16頭だての16番人気。見事に三着に突っ込んできてくれたのであるが、ワイド馬券のない当時、私は単勝馬券を引きちぎるより他なかった。

グリーンスターボウ なにが哀しくてこの馬を買い続けたのか。長めを走れるミスプロへの憧憬(私のIDがまさにそれである)から、この馬を応援し続けたのだが、長くてもいまいち、短くてもいまいち、芝でも砂でも障害でも…あらゆる条件で中途半端であった。おれみたいじゃないか。

チャペルコンサート 12番人気で連帯したオークスを、私はチャペルコンサートから10点も流して、はずしたのである。驚き以外のなにものでもない。

エリモダンディー 20代の頃、人妻と駆け落ちをして、ついでにエリモ牧場でこの馬の墓を参るのが夢だった。「あんたって、意外とやさしいのね」…花を手向ける私の背中に女はそう言うのである。

サハリンリッチ 菅谷正巳といったら何を想い出す? 私はサハリンリッチを想い出す。ところで菅谷唯一の重賞勝利はサンデーセイラでの七夕賞。長い写真判定の間、どうせおれは勝てないから…と言っていたという。おれみたいな人だ。

キョウエイユカ 2戦目(中京1200m)の勝ちっぷりが強烈だったらしく、その記事を読んだ私はミホノブルボン新馬戦を想像した。そして、この馬で熊沢騎手の桜花賞制覇を夢見た。その夢が砕けるどころでは済まずに、3戦目にしてこの馬は競馬場で死んだ。