菊坂・白山その辺り
地方者にとって、どこもかしこも坂や通りに名前が附けられた東京は新鮮であった。どこにいくにもタクシーに乗っていた頃、お陰で行き先を伝えやすくもあった。オムニバスジャパンに行くならば「青山通りからコロンビア坂に入って三分坂を下りて真っ直ぐでお願いします」でよい … という具合。目黒と五反田のなか程にソニーPCLというポスプロがある。ここに行く際は「目黒通りからドレメ通りで」。このドレメ通りを知らないと話がややこしい。「目黒通りから権之助坂を下りずに、行人坂の方にいってすぐ左折してください」となり、運転手はたいてい左折できずに往生してしまう。ちなみにドレメ通りとは杉野ドレスメーカー学院なる専門学校が散在することに由来する。
久世光彦「陛下」に次の一節がある。舞台の白山に"猫坂"なる坂はなく、久世のことだから萩原朔太郎「猫町」を意識してのことであろうか。
好き合ってみたところで、こんな街の男と女の行く末に、おめでたい話なんてあった例しがない。燃えてみたって、猫坂の陽炎みたいなものだ。ゆらゆら揺れて、すぐ消える。*1
その白山には少しだけ昔の色が残っていた。かつての料亭が残る一郭もあったが、写真は逆行がひどくてお蔵入り。
- 作者: 久世光彦
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2003/03
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