中杉通り、いつも通り意味もなくブコウスキー
○ 2009.05 中杉通り(東京都杉並区阿佐谷北)
去年、春に西瓜糖*1がなくなった。夏、その近くに、はらドーナツができた。どちらも私には関係のない世界の話。銀星舎、この古本屋がありさえすればそれでいい。
われわれはクズ馬券のごみだめのなかで終わるようになっている。それを死といおうが、誤った人生といおうが、かまいはしない。 (ブコウスキー「町でいちばんの美女」188頁)
いくあてなどなかった。でも歩いていると、なんだか目的を持って行動しているかのような気がしてきた。むろん錯覚である。裏通りにいたってしょうがなかっただけだ。 (ブコウスキー「ありきたりの狂気の物語」009頁)
私は飢え死の魅力に、なんとなくとりつかれていた。横になって待っていられる場所がありさえすればよかった。社会にたいする恨みは微塵もなかった。そもそも社会に属していなかった。そんなことはずっと前からわかっていた。 (ブコウスキー「ありきたりの狂気の物語」009頁)
人は、自分にはもう生気がないと思うことで、まだそれが残っていることを知るものだ。 (ブコウスキー「ありきたりの狂気の物語」049頁)