津田沼


○ 2009.05 JR市ヶ谷駅(東京都千代田区

東京の西の方より、朝、中央線でなしに総武線に乗ってみる。少しでも会社への到着を遅らせたいからで、要するに一時しのぎの現実逃避。10分程度の違いしかないのだが。いや、それ以上の違いがあるか。どのみち東京駅までしか行かれない中央線と違い、総武線隅田川を越え、荒川を越え、千葉県まで行ける。「津田沼行き」、どんな沼だかは知らないけれども、沼にさえも行ける。そんな総武線ならば、ほんとうに現実から、私という事実から逃避してしまえるかもしれない。

そのようなことを想いながら総武線に乗ってみては、ちゃんと秋葉原京浜東北線に乗り換える。四の五の言いながらも、結局は踏み外せない。高校も卒業したし、大学も出たし、就職をしもした。働きもしている。これは、無能でありながらも、身の程をわきまえることなく普通であろうとするあまりに、無理した結果に過ぎない。

よくよく考えるに、私は沼なるものを見たことがない。海、湖、池は知っている。しかし、沼ってどんなもんなんだ。だいたい津田沼に沼はあるのか。都立大前駅に東京都立大がないように、津田沼に沼がないことだって有りうる話だ。

見果てぬ津田沼

空想しよう。総武線に乗り、秋葉原、わざと目をつぶり、やり過ごす。平井駅、ここまでいけば、もうどうにもならない。まんまと落伍する。窓から強い陽射しが差し込んでくる。河川の反射がまばゆい。そんなこんなで憧れの津田沼駅。とりあえサンスポと週刊現代を買い、マクドナルドに入る。津田沼にマックがあるか知らないが、たぶんあるだろう。なにしろ憧れの津田沼だからな。マックポーク2つとアイスコーヒーのM。2階の窓辺の席でサンスポのセリーグ打率順位を見る。知らない選手ばかりで、失った時間を想う。窓から見ろす光景は、普通そのものだ。私が得ようにも得られないものである。先程からケータイの震動が続く。出れば現実にたち戻る。出るか、沼を見に行くか。

おそらく私は電話に出る。まちがいなく出る。それで適当な嘘をいう。いぶかしがられているのを感じておどおどしながら、午後出を申し出る。すみませんすみませんと小声で繰り返す。そしてまたあくる日にはきちんと中央線に乗り、会社に行く。私はそういう半端者である。どうにもならない。