有名と無名

では残りの大多数の人間はどこへゆくのか。「無名」の世界である。 (勢古浩爾「思想なんかいらない生活」28頁)

地元(諏訪)を有名にしたかった。 ( くまぇり

でも…だからこそ僕は勉強ばかりしていました。都会へ出るってことを周りに納得させるためには、都会にある名の知れた大学に入るってのが最良の方法に思えたから。 (青色28号 20090511


くまぇりは「地元を有名にしたかった」と放火を繰り返した。おおよそ彼女の中高の同級生の半分くらいは、有名な土地、有名な大学、有名な企業を求めて高校卒業後に「地元」を離れたことであろう。くまぇり自身も有名になろうと、ブログで自らをひろめようとし、週刊SPAのグラビアに売り込み、果ては放火した現場写真をブログに載せることで「有名」を味わおうとさえ試みた。ニンゲンは有名に向かうものであって、無名な土地、無名な学校、無名な企業、無名な人生を甘受するのは、なかなか難儀なことなのかもしれない。あるいは吉川徹「学歴分断社会」(ちくま新書)が欠いているのは、地方者の「有名」への欲求(とそれを萎えさせようとする「親心」)である。また「国道188号線」と「246」(国道246号線)の、言葉としての違いは何であるか、など、気が向いたら↓に続ける。