大岳山 町田康 ブコウスキー


○2010.07 御岳山駅周辺(東京都青梅市


御岳山駅からロックガーデン経由で大岳山々頂に到達、そこから海沢渓谷に降りる、などという青写真であったのだが、海沢渓谷に降りるにあたり、本当にこの道なのか、そもそもこれは道なのか、というあやふやな道、というより径をゆくはめとなる。いや、いってはいけない。トライ&エラーなど愚行である。ひいひいいいながら引き返す。ポイントオブノーリターンではなかった。ひいひいいいながら、町田康の「告白」を想い出す。もちろんチャットモンチーの「告白」も大好きだが、遭難しかかった状況にあってはチャットモンチーどころではないのだ。外れくじだけのくじ引きをしている状況なのだから。

思弁と言語の世界が虚無において直列している世界では、とりかえしということがついてしまってはならない。考えてみれば俺はこれまでの人生のいろんな局面でこここそが取り返しのつかない、引き返し不能地点だ、と思っていた。ところがそんなことはぜんぜんなく、いまから考えるとあれらの地点は楽勝で引き返すことのできる地点だった。ということがいま俺のこの状況に追い込んだ。俺いま正義を行っているがこの正義を真の正義とするためには、俺はここをこそ引き返し不能地点にしなければならない。町田康「告白」608頁)


手が切れる。軍手くらいもってくればよかった。軽装備、とはいえ、パタゴニアの鞄には水1.5リットル、著作権法の書籍、それにチャールズ・ブコウスキーの短篇集「ありきたりの狂気の物語」が入っている。そうか、このまま遭難したら、ブコウスキーを読みながら死を迎えるはめになるのだ。…夢の中で、だ。ずっと圏外だったはずの電波を刹那、ケータイが捉える。あわててtwitterにつなぐ。そして「ありきたりの狂気の物語」のお気に入りの一節を打つ。最後の言葉の代わりに、あなたに向けて。

生きるということ。そして死ぬということ。誰ひとりそこから逃れることはできない。私たちはこの世界にたった一人でやってきて、たった一人で去っていくのである。そのほとんどが寂しく、おびえて、人生の大半を無駄に送るのだ。(「狂った生き物」より)








告白

告白

ありきたりの狂気の物語 (新潮文庫)

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