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○2010_12 広島平和記念資料館広島県広島市中区中島町)/ 丹下健三 / 1955

若干の損害   朝日新聞1945年8月7日





私は広島を見ることなどなければよかったと思います。*1

    ボブ・ブランピー(1945年8月に広島を取材した記者のひとり)


これがアメリカの物理学と化学の天才が戦争中、B−29といった航空機や原爆の開発を通して成し遂げたことの最終的な証である。わが国の攻撃と防衛を維持し、性能を磨く必要を疑う者を説得するために必要な決定的証拠となるだろう。*2

    ウイリアム・H・ローレンス(1945年8月に上空から広島を取材した記者のひとり)





過去を振り返って、ショックとか恐怖を表すことはたやすい。しかし実際には当時、私たちは原爆投下をよいことだと思ったし、ただそれまでより大きい爆弾だというふうにしか思わなかった。(略)私たちは勝たなければならないと思っていたし、敵を根絶やしにしなければならないと思っていた。だれもが憎しみを抱えて生きていた。いまになってショックを表す人びとには不信感を抱かざるを得ない。*3

    ホーマー・ビガード(広島ルポを含む戦争報道によりピュリッツァー賞受賞)

*1:繁沢敦子「原爆と検閲」中公新書 33頁

*2:繁沢敦子「原爆と検閲」中公新書 40頁

*3:繁沢敦子「原爆と検閲」中公新書 178頁