いまさらのfacebook

深夜、ひと稀なオフィスのフロア、音の割れまくった音楽が聞こえる。あるガールズバンドの仮歌のデモが同僚のノートPCのスピーカーから流れている。デモゆえの荒っぽさがノートPCのスピーカーゆえに増殖され、余計に心を揺さぶる。社畜の日常でおきる、ささやかなエモーショナルな情景である。

これを実名アカウントで書くわけにはいかない。リリース前の楽曲なのだから、ヘッドフォンで聴くべきであるとの誹りを受けかねない。それは正論である。(実際、私はそうしている) 協業者に不安をあたえるかもしれないし、勤務先に迷惑をかけるかもしれない。実名アカウントとは、かくも不自由なものある。

晩秋、商売の都合でfacebookアカウントをとる。そんな経緯もあって、これは社宅の空き地なのだと知る。4・5階建ての社宅と社宅の合間のスペース、そこにて大声で唄ってみせる、そんな感じだろう。

たとえばCM制作会社の制作進行やテレビ制作会社のAD、アニメ制作会社の進行、こうした職種のひとは不遇のふりをしなければいけない。寝る間も休む間もなく仕事をしている、そんなふりを。そもそも、これらは未熟者・半端者の職種である。仕事が出来ればプロデューサーやディレクターになるのである。学校を出たばかりの未熟者である。だから失敗も多いし、連絡が遅れることもある。それを外部スタッフに許してもらわないといけない。あるいは寝ないで働いているスタッフがいるかもしれない。それゆえ、ライブにいきました・麻布十番で呑んでます…は駄目なのである。これを革命的警戒心と言う。

facebookのマイミクには、VFXプロデューサーやコンポジッター、映画監督らがいる。そんなひとたちに監視された状況で、映像について何が書けようか。(まあ、それは私が三流だからなのだが) 匿名アカウントのtwitterでは、殺人者や東映映画、類似業者との制作事情についてのやり取りが発生していて、そっちの方が実がある。類似業者との制作事情についてのやり取り…これは裏方稼業の者は実名では不可能であろう。具体的な事項を排除するのは守秘義務からして当然であるが、それゆえにどうとでも取れる内容になって、それはそれで要らぬ憶測を招くことになる。 

結局、facebookはボディコピー的な短文とURLを拾う場となる。その意味ではfacebookは、立食パーティーの軽い挨拶と簡単な会話に近い。つまりはオフラインで濃さが担保されうるニンゲン、すなわちリア充向きなのはそういう事情もあろう、か。