生きていくのがつらい日は / 杉作J太郎と池玲子
第一部☆杉作J太郎
過日、学生の頃から今日までつき合いのあるやくざ者と「杉作J太郎はいったいいつみうらじゅんさんに逆転されたのだろうか」という、どうでもいい議題について語り合ったのだが、いったいいつ逆転されたのだろうか。90年代後半、夜の放送大学「トゥナイト2」で活躍した杉作J太郎、エロ本なのに白黒ページの方が人気だった「ビデオボーイ」に見開きで連載をもっていた杉作J太郎、今でこそDVDがばんばん出ているが当時は大井武蔵野館にかかるのを待つしかなかった東映エログロ映画の伝道師だった杉作J太郎、今でこそ普通にいるが当時はまだ珍しかった潮吹きAV女優・若菜瀬奈さんもリングにあがったプロレス団体FMWの解説者だった杉作J太郎……。
山一証券が潰れ、光通信がブイブイいわせていた、そんな暗い時代、私の脳内は杉作J太郎を中心に回っていたのである。
(高円寺文庫センターでのサイン会にて。下地は「東映ピンキー・バイオレンス浪漫アルバム」 「ゲバ」の部分はphotoshopで書いたもの)
第二部☆愛光中学校・高等学校
杉作J太郎、著書「ヤボテンとマシュマロ」に「不安でないことなど私立中学を自主退学した頃から一度もなかったとまで言ったらこれはこれで言いすぎかもしれない」と書いている。その中学とは愛媛県にある愛光中学校のことで、中三の時に公立中学に転校している。(wikiには「愛光高等学校中退」とあるが、これは間違い)
愛光中学校・高等学校というのはwikiによると「中学・高校受験での西日本の難関校。灘、ラ・サールとともに「西の御三家」と称せられていた進学校」だそうな。おまけに学校行事だらけである。こんな学校、そりゃあ杉作J太郎は自主退学してしまうだろう。(往々にして「"31人32脚"の番宣番組を見るのが好き。あれに出てくる先生の暑苦しさ!」などと言って話がはずむような奴は杉作J太郎ファンである。)
この愛光中学校・高等学校の卒業生がふるっていて、元気が出るテレビ「東大に入ろうね会」の広瀬君、ロマンポルシェのロマン優光がいるではないか。なんだか愛光中学校・高等学校に親近感が沸いてきたぞ。