中野武蔵野ホール

中野ブロードウェイの混沌ぶりにもまして、そこの横町界隈がこれまたどうかしている。青葉(ラーメン)や陸蒸気(炉端焼き)などの飲食店が蝟集する傍らに西友もあれば駅前ソープもあり、はたまた黒木香が飛び降り自殺をはかったりもした地帯である。で、中野武蔵野ホール、ここもその一郭にあった映画館なのだが、時々の流行りにあわせてプログラムを変容、すなわち自主映画を上映したり、川本喜八郎チェコアニメを組んだり、ピンク映画の祭典P-1GPの会場になったり、果ては新宿昭和館が潰れると任侠映画を専門とした劇場であった。また場内では他館のビラが両側の壁際におかれていて、幕間になると野郎どもがぞろぞろとビラを物色すべく周遊するのがここ特有の光景であった。

ここに初めていったのは96-12-14、黒沢清蛇の道」の先行上映である。黒沢清高橋洋の対談に惹かれてのこのこ出かけたのであるが、何の気なしにみた「蛇の道」には魂消えた。当時の黒沢清というのは「勝手にしやがれ」シリーズ直後の黒沢清である。映画から理屈を抽出するのが好きな者がもてはやしていた存在、とは如何にも言い過ぎであるが、要するにたいして期待せずに見たので余計に魂消えたのである。この映画のME(music effect)の使い方や、黒沢清が対談で述べた「もっとも客観的な映像は監視カメラの視点である*1など、後にCM制作会社に入ってから職業において想い返すことのあった事柄もあって、忘れられない一日となる。

  • このトークショーをきっかけに映像とはなんぞやということをぼんやりと考えるようになる。映画/映像とは24枚(ビデオでは30f)の写真の連続であるなどという「批評」的な言説があるけれども、これはそれ以上のものではない。映像ではたいがい動くものを目が追う。この点において写真と違う … などということを書いてみたい気がする。過去の職業経験の締めくくりとして。



2002年より任侠映画専門館となった中野武蔵野ホール、ビラが恰好よくって、手元に残っていたものをスキャンしてあげてみる。モーニング/レイトショーも企画され、進藤英太郎特集では小沢茂弘による「アマゾン無宿・世紀の大魔王」「ヒマラヤ無宿・心臓破りの野郎ども」が上映。しかも朝っぱらから。そんな中野武蔵野ホールも2004年05月に閉館。

在りし日を伝えるサイト

中野武蔵野ホール」「中野武蔵野ホール・激動の742日」(紹介もなにもgoogle1位と3位)

恐怖表現関連リンク

文学批評理論「亡霊登場理論」 mochiyaさん「幽霊ノート」 

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*1: 監視カメラを効果的に用いた「仄暗い水の底から」はこの時点ではまだ作られていない。