小石川の墓

地方者の私が"小石川"なる地名を憶えたのは、青木玉小石川の家」によってであったろうか。そのせいかもしれないが、日傘をさす着物姿の女が風呂敷包みを抱えてとことこ歩いている、そんなイメージを持ってしまう。(←小沼勝「生贄夫人」のオープニングがこんなだったかなw)

実際のところは高台の町で、また寺町でもあり、なかでも伝通院が有名か。露伴・文・玉の三代にわたる文人の過ごした旧宅はそのそばにあり、永井荷風もこの近くで生まれた。その荷風の随筆「伝通院」には「滅びた江戸時代には芝の増上寺、上野の寛永寺と相対して大江戸の三霊山と仰がれたあの伝通院である」とある。増上寺寛永寺は共に徳川家の墓所として有名であるが、伝通院は徳川のおんなたちの墓所でもある。(寛永寺は江戸の鬼門であったか)

ほか、柴田練三郎に佐藤春夫もここに眠る。(幸田家の墓は池上本門寺
● 2003.09 wikipedia:伝通院 (文京区小石川3丁目)



ご覧の通り、おもしろい形状の墓が多い。中段右端が柴田練三郎の墓。下段左端はマリリン・モンローをモンだ男・浪越徳治郎寄贈の「指塚」。(下段真ん中は近所の日本指圧専門学校、下段右端は牛天神北野神社、この2枚以外は伝通院)