「おれ、チャットモンチー好きなんだよね」と言える日が来るのか来ないのか

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小学二年だか三年の頃、本州の西端では土曜日の暮れ方に連ドラ「ダウンタウン物語*2の再放送をやっていて、私はそれに夢中になっていた。これは桃井かおりが酒場で唄う女、川谷拓三が貧乏牧師の役で、二人の恋心の彷徨を中心とするドラマである。これにより桃井かおりファンとなった私はその旨を年の離れた姉にいうと「ぜったい言っちゃだめよそんなこと。お母さんとか、あんたのこと心配しはじめるよ!」と云うた。桃井かおりファンであるというのは、そんなに他人を驚かせ、哀しませることになるのかと唖然とした。

その後に、中核派火炎放射器をトラックに搭載して永田町に出かけ、自民党本部を燃やす事件をやらかす。このニュースを見て「西部警察みたいじゃなあ。やっぱり都会はすげえな」と、僻地で暮らす私は素直に感心した。学校で「中核派っていうすげえのが東京にいるよ」と言ってまわりたい衝動にかられながらも、たぶんそういうことは言わない方がいいにちがいないと薄々感づいていたので、我慢した。これを社会性という。ほかにも中島みゆきファンであることを誰にも言えずに過ごしていた。私は孤独の海にいたのである。

そんな風に黙りこくっていた私と違い、世の中には突き抜けた人もいる。中学の卒業文集にて好きな有名人の問いに「有名人(あまり有名ではないかもしれないが)ならグレアム・ヤング」と書いた少女がいた。*3 グレアム・ヤングとは英国の毒殺魔である。その後その少女は高校生にして実の母親にタリウムを盛り、殺害しようとして逮捕される。「タリラリラン高校生」という大映映画があるが、こっちは「タリウム女子高生」である。文字通り毒婦&パンクである。

いいかげん、チャットモンチーに話は移る。はじめてこのガールズバンドを見た時、阿佐ヶ谷パールセンターの入り口で割引ビラを配っている美容院のインターン生みたいな娘たちだなと想うた。しかし福岡晃子(3人のなかで、もっとも美容院のインターン生みたいな子)の歌詞は鮮烈であった。「当たりくじだけのくじ引きがしたい」ときたもんだ。なんというか、東直子の短歌にはじめて触れた時の、あるいは麻生久美子をはじめて見た時の、天海ゆうのAVを…伊藤智仁のスライダーを…エリモダンディーの末脚を…そんな、トキメいているうちに時間が過ぎていく感じを与えてくれた。

しかししかし。二十そこそこの頃に「ほんと、日刊ゲンダイが似合いますよね」と言われた私である。そのような風体の男が三十過ぎるとなると、どういう事態であるかは言うまでもないのだが、そんなのがよりによってチャットモンチーである。これはなかなかまずい。さらにバンド名が幼児語に似た響きなのが救いをなくしている。今日のわが国は、三十過ぎのおっさんが「もんちー」などと発声して許される社会ではあるまい。ふつーにキモいだろう。なにしろ、もんちーだよ、もんちー。

そんなわけであれだ。結婚なんかできなくてもいい。だが、一生のうちのどこかで、好きな女の子に「おれ、チャットモンチー好きなんだよね」と言える日が来るといいなと想うている。これ以上恥ずかしい告白は、私にはないのである。


耳鳴り

耳鳴り

生命力

生命力

*1: 三菱自動車のミニカF4(中期型・・・73年10月〜74年12月のスーパーデラックス)と想われる (http://www.ucatv.ne.jp/~hdaimon/f4-2.htm

*2: ドラマデータベースによると日本テレビ1981/1/13〜1981/4/21オンエア

*3: 最低映画館「グレアム・ヤング 毒殺日記」があっさりまとめている。