写真・考 〜 主婦KEIKOは如何にしてガスの元栓をカメラで撮りしか

[1] 撮影について

撮影という行為は撮られる人にスポットを当て、世界の中心に立たせる行為である。(略)昨今、おおむね子供の"いま"は絶えず否定され続ける宿命にあるのだ。(略)あらゆる生き物は"いま"という時間にしか存在できないものであるとき、"いま"を否定され続ける彼女は"わたし"という存在を永遠に認知されないということになる。写真を撮るという行為は逆に"いま"という時間内にしか成立しえず、今の瞬間を写しとり、承認を与える行為なのだ。 (藤原新也「渋谷」より)

「渋谷」は藤原新也が福岡の少女たちを撮影する企画をめぐる逸話などを書いたもので、うえはその後書きの一部である。藤原新也は撮られる人、すなわち被写体について語っているのだが、これは往事の女子プロレスにも通じる話であるし*1、「"いま"は絶えず否定」されている女性がヌードを願い出たり、主婦売春をはじめたりもするのだろうかと想いもする。*2 また、たとえば平民新聞さんの写真は、撮られる対象に承認を与えながらも、それによって撮る側にもそれを与えているようでもある。あるいは 村西とおるの「ナイスですね」、これも承認を与える言葉である。などなどうんたらかんたら想うところ。


渋谷

渋谷


[2] カメラについて

カメラは、それを手にするだけで「世界の中心に立たせる」のかも知れない。

  • イチニクス遊覧日記 「カメラ」2009-01-10 (カメラをかりた話)
  • 健全ツイスト 「貸し出し中」2009-01-21 (カメラをかした話)

あふれでる感情に満ち、冬なのに春めいたエントリ。

[3] 以上を踏まえて、くだらないおれの写真と妄言

平成じゅうご年ろく月にじゅう日、東京都新宿区新宿3−19−2にある さくらや新宿3丁目店でキャノンPowerShotA70を買う。下はその当時に撮影したもので、見ての通り、ガスの元栓&蛍光灯である。カメラを手にして、うきうき・どきどき・ちょめちょめと心ときめいている感情がみなさんに伝わっているだろうか。なにかを撮らずにはいられない、しかし出歩くのは面倒だ、という煩悶がみなさんに伝わっているだろうか。よりによって何でガスの元栓?という私という存在への不信がみなみなさんに伝わっているだろうか。

グラビアアイドルやAV女優、あるいはギターのふりしたキーボードを肩からぶら下げたひとと結婚した人妻ならば、ガスの元栓の写真にさえも、必然性を与えうるかもしれない。

KEIKO death!!
きょうは哲哉さんが合宿所から帰ってきたので、はりきってお料理をつく…

んまー ガスのホースがない 

がびーん 売っちゃたんだった あははははは

コンビニにお湯もらいに逝ってきまつ

♪KEIKO  *3

いずれにせよ、この先、デジタル一眼レフなどを買おうものなら、再びガスの元栓を撮影してしまうことだろう。

*1: 以前より「往事の」という言葉をつかってみたかったのだが、ついにその日が来た。

*2: たとえば子供殺しの畠山鈴香は、報道にしたえば自宅で売春をしており、そのことへの共感を示す女性もいるという。http://news.ameba.jp/2007/09/7123.php 人殺しでなしに、地方で暮らす孤独感や閉塞感に気がまわってしまうのだろう。わからんでもない。

*3: こんなことを書いて!と気を悪くするファンがいるやも知れない。しかし、私はこの夫婦の今後に期待しているのである。以前にも書いているのだが、いつの日かユーミンの「翳りゆく部屋」を唄ってもらいたいのである。さあ、あなたも私と共にその日を待とう。