町田康「宿屋めぐり」 その他 悪態をついて


ピクニックもろくにいけないような人生になんの意味があるのだ。そう思って俺は就職しなかった。ところが大抵の者は就職した。そのことは俺がこの世界にばまりごんで、ついにはおばはんになってしまっていることに深い関係があるのではないかとおもう。だって、普通の奴はこんな目に遭わないからね。つまり、自業自得。普通の人がするようなことをしないから、普通の人が遭わないような目に遭うのだ。結局、ピクニックは一回もいかなかったし。  (町田康宿屋めぐり」560-561頁)

いかんせん602頁もあるために、サンマルクカフェにて1杯のコーヒーとサービスの水でもって読み切るのは難儀と想い、わざわざジョナサンに出向いて、そこのドリンクバーに頼りながら町田康宿屋めぐり」(08年刊行)を読む。ちょうど上述の引用箇所を読み過ぎた頃、椎名林檎の「閃光少女」が有線から流れてきて、せっかくなので目を瞑って、あれこれ想うた。*1

(以下は「宿屋めぐり」はほとんど関係がなく、私という半端者がぐだぐだと悪態をついているだけなので、読まないことを勧める。)


私は石油化学コンビナート地帯の外れにある新興住宅地で育ち、ごくごく近所には同い年の竹下登(仮名)と金丸信(仮名)がいた。幼稚園・小学・中学と一緒であったのだが、竹下登と私は普通科の高校(いわゆる進学校)、金丸信は工業高校にすすんだ。

私の世代というのは、大学受験が厳しい盛りであった。一方で工業高校では泡銭景気がピークアウトしていながらも求人倍率が8倍とも言われていて、そこにいった者の多くは地元の大工場に就職した。(当時の私にはそれらは「工場」であったのだが、今となっては、東証一部上場企業、である。)

パチンコ屋とラブホテルしかないような田舎から抜けるために普通科の高校(いわゆる進学校)にいき、ちまちまと勉強し、大学進学というエクソダスを果たす。私はこの気概こそが自我だと想った。しかしながら、今にして想うと、この自我のようなものこそが余計なものである。(たとえば官民所得格差が2倍以上ある青森県など、うかつに自我や夢など持たずに素直に地方公務員になれば、青森県内においては、カツマーになる必要すらなく勝ち組である。)


その後と現在。私はといえば都市に出たっきりであり、竹下登は都市の大学に行き就職した後、理由はわからないが現在は実家に戻っている。一方で金丸信は工業高校を出て、東証一部上場企業の工場に通い、結婚し、子供をもうけ、現在は実家にて三世代で暮らしているらしい。(「らしい」というのは、要するにつき合いがないのである) 

親、の見地に立てば、金丸信の親がいちばん仕合わせであろう。息子とずっと暮らしているのであるし、今や孫とも暮らしているのである。続いて、Uターン就職した竹下登の親で、いちばん不仕合わせなのは私の親であろうか。銭金ばかりかかって、あげくが息子は出ていったままであるのだから。 … 親にとっても子供の自我は余計である。


この地では、高校を出た際に進学せず、且つ親元で暮らし続ける男子には、親がすぽーてぃーな自家用車(当時はスープラやプレリュード)を買い与える風習があった。これは学費相当分の贈り物のようでもあるが、実際のところはそれだけ嬉しいのだろう。あるいは女生徒の親は、進学先として広島県まではいいが、それより東はだめヨ、なぜなら危ないから、などと言い、そうまでして子供を手元におきたがるであった。 … これはグロテスクである。(とりわけ自家用車を買い与える様は、漱石「道草」の島田夫婦に通じる。)

以上の文脈における自我の、それに対置するものは、グロテスク、すなわち日本語で言うところの悪趣味ではないか。と、負け狗、遠くへと吠える。


宿屋めぐり

宿屋めぐり

*1: せっかくなのでと、どれだけ飲んだかをメモした。コーヒー…2杯、抹茶ラテ…1杯、ブルーベリーティー…2杯、アセロラドリンク…4杯、アイス抹茶ラテ…1杯、カルピスソーダ…1杯 計11杯。