工場の消滅

1000人の仕事消えた 人口5.7万の鹿児島・出水市朝日新聞 2009-03-26
イオニア約600人、NEC約370人。人口5万7千人の鹿児島県出水(いずみ)市から合わせて1千人分の職が消える。

私が育ったのは瀬戸内コンビナート地帯の一郭であったので、まわりの多くが工場労働者の子供であった。不況により どこかの工場が縮小や廃止になると、そこの子供がごっそりといなくなる。そんなことを繰り返し、その度に、もう会うことはないなと想いながらも、また会うような口ぶりで別れの挨拶を交わした。

ゴーリカ。当時、工場の統廃合や人員削減はそう呼ばれていた。なんだかおどろおどろしい語感に想えた。ボルシェヴィキの構成員の名前みたいじゃないか。

そうこうするうちに、それこそ幼馴染みで 家も近くの女がいなくなった。それっきり会っていない。お母さんがデブだったので、今頃はその女もデブになっていると想うのだが、もう一回くらい会えるにこしたことはない。

「この先君が どんなに変わってもいいよ 僕らはまた笑って話せるはずだから」 ハナレグミは「さらら」でそう唄う。あの当時の私がなにを聴いていたのかと言えば、スティングの「nothing like the sun」なんかで、これじゃあ、女に気の利いた言葉を贈れるはずもない。

もちろん、気の利いたことを言っていたなら、それはそれで小っ恥ずかしくて、それこそ二度と会えないところだけれども。

くるり「男の子と女の子」

[似たような昭和なエントリ] 「おっぱい甲子園 '87」(2009-02-10)