「シティマップル東京都23区道路地図」1999年版83頁B-7
ここ、定点で廻すと面白いかも知れない、と演出の女は言った。なるほどと想った。
場所は「シティマップル東京都23区道路地図」1999年版83頁のB-7。この地図帳、ロケハンにやたらと出かける私の机がいつのまにか定位置となり、そんなこともあって退職金がわりに辞める際にもらう。今となっては、結局、これだけが私に残った。
…って、こんな書き方をしてはいけない。お前はなに様なんだ。奥様? いや、違う。だいぶ違う。場所は足立区柳原1-14、streetviewで見回してもらえばわかるが、広角で撮ると方々から信号機が入り込んで来るので、アングルをさぐったりするひとには面白い場所だと想う。
わたしたちはみんな以前ほどうまく切り抜けてはいないようにわたしには思える。選択可能なものをすべて使い果たしてしまったように思えるし、もはやこれ以上何もできないようにも思える。 (ブコウスキー「死をポケットに入れて」146頁)
寄り添いたくてこうして二人でいること、それを愛と呼ぶとしよう (宮本浩次「それを愛と呼ぶとしよう」)
わたしは五十歳になるまでごくありふれた労働者として働いてきた。ただの人々の中にまみれていた。自分が詩人だと言ったことは一度もない。生活のために働くことが偉大なことだとわたしはここで言っているわけではない。たいていの場合、それはとんでもなくひどくおぞましいことだ。しかもそのおぞましい仕事を失わないために必死で頑張らなければならないこともしばしばだ。というのもその仕事を奪おうと手ぐすねひいて待ちかまえている男たちが背後に二十五人もいたりするからだ。もちろん、それは無意味なことこの上ないし、当然のごとく、人をぺしゃんこにへこたれさせてしまう。しかしそうしたひどい状況の中に放り込まれていたことが、ものを書く時、たわごとでお茶を濁してはいけないということをこのわたしに教えてくれたのだと思う。 (ブコウスキー「死をポケットに入れて」140頁)