夜の砂、六月の記憶

書くことの目的はまず第一に、愚かな自分の救済だ。  (ブコウスキー「死をポケットに入れて」81頁)


ある夜、会社をたたんだ男、それはかつての上司でもあるのだが、誘われて大井にいった。ちょうど御神本訓史がやってきた頃のこと。この縁起のよい名字のジョッキーは島根県益田市にある小さな競馬場にいたのだが、そこが廃止となったので大井競馬場に移籍したのである。遅れて到着した私に、男は御神本を応援しているんだよと言って、多点買いした馬券を見せる。男が御神本の境遇に自分を重ねていたのは言うまでもない。だから私も御神本から買いまくった。

御神本は馬券に絡めなかった。ああ、はずれましたね。そういって馬券をちぎる私。あっそう、ぼくは馬連とったよ、と男。男は御神本以外も買っていたのだ。私は御神本からの馬単流しだったというのに。つまるところ、私はお人好しの愚か者である。


その数年前、就職も決まらぬままに大学を出て六月、面接を受けに出かけた。金曜日の15時からであったので、もよりの駅に着くと、すでに土曜競馬の確定馬柱が載っている日刊ゲンダイが並んでいた。私はそれを握りしめて面接会場に向かった。受かるかどうかわからない面接よりも、翌日の競馬の方が気になるのは当然である。

エレベーターを降りると廊下の隅には出前の寿司桶が積んである。昼間から寿司くってんのか、おれはここに入ろう … と決心した。(もちろんそれは勘違いである) 昼間から寿司をくっているひとたちだもの、「学校では法社会学の勉強を」などというよりも … との算段から「競馬、それから飲酒、あと麻雀です」と答えた。面接官はあきれ果て、私を罵倒しはじめた。まあそりゃそうかと想い、つい笑ってしまった。

罵倒されようともへらへらしている私を、筋金入りのバカ野郎と想ったらしく、きみはちゃんと働いて親孝行しなさい、といって即決採用してくれた。その面接官こそ、大井の男である。給料のことなど話しもしなければ聴きもしなかったので、これで千円単位でハズレ馬券が買えると ぬかよろこびをして、来た道を戻った。それからまだ学生の身の友人らと居酒屋で夜中まで呑み、朝まで麻雀を打ち、少しだけ寝てから水道橋のウインズにいってハズレ馬券をまとめて買い、それからまた夜中まで麻雀を打った。サラバ青春の三十七時間である。


こうして私は映像の世界に入り込んだ。そして件の男から色々なことを学んだ。おかげで私は今日にいたる。同時期に入社した者のうち、一番最初に辞めた者がもっともエラくなり、最後までCMにいた私が喰いつめ者なのは皮肉だけれども。