エヴァンゲリオンとは無縁の生活

それを放映していた当時、明治大学にすら入れなかった半端者が敗北感を背負って入学する学校に通っていた。そこに行くはめとなった夜、高卒の父親はなんだ法政かと吐き捨てるように言う始末であった。予備校の講師にロックアウトでろくに授業がないときいていたので、まあいいかと自らを慰めたのだが、実際のところはそうでもなく、とはいえ、公安の監視を遮るために飯田橋門はカクマルセンメツとペンキで描かれたベニヤ板で封鎖され、*1年に数回、警察が突入してきたりもしていて、*2小学5年で中核派ファンの私にはお誂え向きではあった。水道橋の場外で紙クズを買い込み、部室で麻雀しながら競馬中継を見ようと学館に向かっていると、「例の女」に出くわしたりもした。柄谷行人には一度たりとも会うことはなかったけれども。なにしろ学校に入っても、校舎には滅多にいかないのだから。そうだ、土曜日の昼下がり、Tシャツに軍手でタテ看を書く彼らはとてもいい顔をしていた。サンスポと馬券の束を握りしめた私の方がよほど不健全である。そうそう、忘れ難い者にマイルス・デイビス「(曲名失念)」の ♪つーつるるっ あの箇所を延々と吹いているジャズ・トランペッターがいたりもした。

ところでこの学館は中核派の拠点くらいにか想われていないかもしれないが、シアターゼロなる企画団体による上映やライブもそれなりに評価しうるものであったに違いない。なにしろサミュエル・フラーはここでしか見ることが出来なかったし、加藤泰の「車夫遊侠伝 喧嘩辰」を90年代後半に東京で上映したのはここだけのはずである。他にジョン・ゾーン。よりによってジョン・ゾーン

あの頃、平日の何日かは昼間は文芸坐地下や大井武蔵野館で映画を見て、夕方から居酒屋で呑み、深夜に柵を乗り越え入校して、学館の部室で朝まで麻雀を打ち、そのまま昼になると屋上にござをひいて世間話に興じたりした。週末はもちろん競馬である。後々にブコウスキーを読む下準備を、私はここでこういう具合にやっていたのかもしれない。彼の墓碑銘に刻まれた "don't try" の生活によって。

その後の私はこのようにして就職をし、このような境地にいたり、こういう具合にすり減っている。数年おきに転職する身であるため、小学生でもさっさと書ける学校名・学部名・学科名なのは幸いである。


法政大学学生会館 (2009-06-28)

*1:お堀の反対側、すなわち東京理科大付近から学館への出入りを監視しているとのことであった。

*2: ここにいた人はご存じのとおり、前日にはその情報が回っていた。