他人の煙草、他人の人生

高校生の頃、『エンゼル・ハート』(アラン・パーカー監督)のミッキ・ロークに感化され、しかめっ面でキャメルを咥えて煙をくゆらせたり、人差し指と親指でピンと投げ捨てたりしながら、おっかなびっくり背伸びをしていた。  
   IMITATION GOLD「煙草というのは「生き様」の問題、人生の喜びを味わう「生き方」の問題なのだ2005-08-28

エンゼル・ハート」、黄燐のマッチを死体で擦って火を点け、煙草を吸うシーンがあったと記憶する。原作のウィリアム・ヒョーツバーグ「堕ちる天使」もお薦めである。

飲酒、麻雀、近眼、三流私大、無精髭、中小企業、結婚せず … このようなろくでなしの息子を、母親は煙草を吸わないことだけが取り得だと想っている。とはいえ、一度だけ、16か17か18の時にJPSを買ってみたことがあるのだが、吸い方を習得できず、仕方なしに田んぼに捨てた。 … 以来、喫煙者のことを、私は「器用な肺」と呼んでいる。もちろん嘘である。


煙草より先に覚えたゲバルトのドイツ語のつづりいまだ忘れず」、ちなみにこれは獄中死した革命左翼の女の霊が私に取り憑いた折りに詠んだ短歌である。


nuba「煙草も吸わないくせに」(2009-07-30)、これは非喫煙会社員としてよくわかる。就職したての頃、まだ馬券狂いだった私は、煙草休憩のかわりに、競馬の予想をしていた。咎められて、煙草を吸うのと競馬の予想をするのと何が違うのだと反論していると、件の男にたしなめられた。「何でそう変な理屈を想い付くんだ。 … まあ、上手くやれよ」 


以下、他人の煙草、他人の人生、あれこれ。

5センチぶんの休息を。5センチが燃え尽きるまでのあいだ、色々なことを知ったのだ。そのときのことはいまでもよく覚えている。忘れてしまったかもしれないけど、忘れてもかならず思い出すよ。煙草があってよかった。きみには本当に感謝している。 
   hatooons on web「ラスト・スモークはわたしに」2009-07-31

 適当に買ったキャスター。嫌いじゃない味。初めて吸った煙草を憶えている。キャビンだった。F1のタイヤを模した灰皿がついてきた。大学に入る前のことだ。一年と数か月の大学生活。煙草が支えだった。便所飯、なんてものはないころ。ただひたすら、煙草を吸って時間を潰した。煙草はいつでも一人にしてくれる。孤独を守ってくれるやわらかな盾みたいなものだ。
 うんこ座りして煙の行く先見る。しみったれた町。暗くて青いスクリーン。コインパーキングの光。片足引きずったじじい、長すぎる手足を持て余している中国人の娘、ラブホテルから出てきたカップル、ラブホテルに入るカップル。慣れてしまった俺。なんてことだ、こないだまで夏だったのに、もう寒い。何度目の夏だ? 秋だ? 俺は何年にどこでなにをしていたんだ。いつからこうしていたんだ? 
   ○外○内日記「煙草2本分の人生2009-09-30

そこで思い出したのが、煙草を吸うようになってから読んだ、ポール・オースターの脚本(映画になっている)『スモーク&ブルー・イン・ザ・フェイス』の中での台詞。
登場人物のボブが、「最後の一本」を吸う為に煙草屋のオーギーを訪ねるシーン(ブルー・イン・ザ・フェイスのシーン31と51)でのこと。
そこでの彼の台詞から、私のとらえた感想は、「煙草は人生に連れ添う友人である」という考え方だった。願わくば、私も彼のように、煙草をやめる時、煙草にまつわる良い思い出とともに別れたいと思う。
   イチニクス遊覧日記「喫煙と自殺の関連」2005-01-18