三島の鰻


あの日、三島へは新幹線でいき、東海道線で帰った。

だらけた季節を一緒に過ごした私たちは、東海道線で戻ることを選んだ。新幹線でさっさと帰京し、八重洲で呑めばいいものであろうけれども、葬式帰りゆえに呑むことに抵抗があったのも確かで、別れがたいのも確かで、ゆえにだらだらと電車で昔のような時間を過ごしたかったのだった。

斜向かいに座る女は葬式で泣いていた。この女は私が死んでも泣くだろうか。などと詰まらないことを想いもした。もう3年前であったならば、試しに死んでみたかもしれない。しかしその当時の私にはそのような余裕など既になかった。

ばか話に興じるうちに神妙になどしていられなくなり、結局は品川で下車して呑み始めたのであった。JR三島駅にむかう途中の鰻屋がいけなかった。さっきの鰻屋、妙にひかれるものがあんな、などと誰かが言いだし、こないだ鰻屋で白焼きを肴にビールを呑み、それでもって大人になったような気がした、などと別の者が言い、飲み食いの話に興じるうちに他人の死や葬式の緊張が緩んでしまったのである。

少し経って、件の鰻屋が有名な店であることが判明し、みなで墓参りにいく機会にあそこで呑むか、という話になりもした。話になっただけで、鰻屋はもとより墓参りにもいくことはなかった。過去を大事に共有しあえるには、それぞれがまっとうな人生であることを要するに違いなく、少なくとも私はそうではなかった。

過日。三島へといき、件の鰻を喰う。鰻を喰いながら想ったのは、死んだ彼でなく、彼のことで泣いた女のことである。私は女に泣いてもらい損ねたのである。今更死んでも、泣きはしないだろうし、葬式にもこないに違いない。ただ誰かからのメールで数十日後に知るのが関の山だろう。…1000年後、という視点では、彼は私よりも幸福ではないか。私の死なんぞ、老いた姉たちが「拾いきれないね」と薄く笑いながら、遺骨を棒きれでつまみ続けることになる、そんなもんだろう。