愚か者の世界

書くことの目的はまず第一に、愚かな自分の救済だ。  チャールズ・ブコウスキー「死をポケットに入れて」81頁)

このブログの第一の読者は私である。第二のそれは歳の離れた姉である。おそらくこの地で死んだ場合、彼女が遺品整理にやってくる。その時、このブログを発見するであろう。実家を出て以降、堕落しつづけた私の20世紀と今日が記されている、これを読み、写真を出力し、老いた母親に見せ、聴かせてくれればよい。あなたの息子はここを出たのち、陰鬱で、さえない人生を送りました、と。


はてなブックマークにおいて、多量に新左翼ロシア革命関係者に関するPermalinkをブックマークしている。IDは競走馬に由来しているし、競馬についてのそれも多い。そのため、私のはてなブックマークをつぶさに観察するニンゲンがいたとして、そこから浮かび上がる私の人物像は「競馬好きの元活動家」だったりするかもしれない。しかしこれは正しくない。一方で、実現実において、…会社と自室を往復しているだけなので、それは実質、会社のことであるけれども… そこのニンゲンは、私が昭和野球・二十世紀競馬・ダイヤモンド映像に執着していることを知らない。会社において私の趣向で開示しているのは、建築好きくらいである。机の上に丹下健三関連の書籍を積み、袖の引きだしに金子光晴の詩集を隠し込んでいる、私はそのようにして実現実にいる。

実現実世界において、最終学校歴があれな男が、RG(エルゲー)のテリー伊藤的な暴力性や、東アジア反日武装戦線の斎藤和について喋ったりするのはあまり賢明ではないだろう。また、以前の職場では、競馬好きと開示していたために、月曜日になるたびに「どうだった?」と聴かれのに辟易としたため、次の会社では隠しこもうと決めたのである。半端な知識の者と競馬の話をするのがどれだけ面倒か。

会社においては、自らをコントロールして生きていかなければ、誤解されたり面倒くさいことになる。しょせんは薄いニンゲン関係であって、たいして互いに興味もないのに、つい何か話をしてしまう関係なのだから。


話題の映画「冷たい熱帯魚」。昨秋、この映画のキャスティングと知り合いだという同僚にチラシをもらう。それを見たインターンに来ていた日芸の学生に強く薦められる。そこまでお膳立てされながらも、まったく興味を持つことはなかったのであるが、明日、新宿にて当該映画を見る予定である。はてなブックマーク経由でそのレビューがちょくちょく流れ込んできた結果である。

1 月に見た封切映画の誘因備忘録 バーレスク…ichinicsさんブログと場面写 ノルウェイの森…大木スミオさんブログ 海炭市叙景…goldhead さん・nukagaさんブログ、トンボロさんtwitter。 案外、webに依存。そもそも実現実のニンゲン関係が希薄だからなのだが。 (on twitter

バイラルだのクチコミなどという語彙に嫌悪感を示す一方で、実際にはソーシャルメディア万歳である。マス媒体への絨毯爆撃を信奉しながらも、この有様である。コンテンツ屋に勤務している手前、封切映画の話を周囲はしているけれども、それでもって映画にいくことはない。直接のニンゲンには愛憎半ばしてしまうものだし、薦められれば引きたくもなる。まあ、私がひねくれ者なだけであるのだが。ところがどうだ。ソーシャルメディア上の人物にはひれ伏す。イチニクスさんのおかげで、漫画を読む習慣のない私が「青い花」を読み(果てはそのアニメのDVDを買い集め)、豊田徹也「アンダーカレント」を買ったのである。なんという影響力。


趣味趣向は実現実世界では伏せられ、ネット世界では全開である。インターネットとは私にとっては永遠の昭和世界であり、二十世紀であり、部室であり、飯田橋の呑み屋であり、中野区のアパートであり、水道橋場外のA館8階であり、大井武蔵野館であり文芸坐地下であり高円寺文庫センターであり新宿のディスクユニオンであるのだ。そこにおいて私はいつまでたっても、大西直宏が「夢みたい」といったあの日の空の下に立っている。

実名でのfacebook活動なんぞ、会社のニンゲンに監視されるためにするようなものである。退職後もそれが続きかねない。なにが「いいね!」だ。実現実と地続きの世界なんてくそったれである。(←そこにおける私が、である)