大和郡山

● 2006.01 奈良県大和郡山市

戦国の武将・筒井順慶が礎を作った城下町の大和郡山にも二つの遊廓があった」(木村聡「赤線跡を歩く」) 大和郡山=遊廓跡…なのか、そこへ行ってきたと大阪府民に言えば「遊廓 見にいったんか」と すかさず返ってきた。図星です。

wiki には「古くからの市街地は近鉄郡山駅やJR郡山駅周辺に広がり、現在でも細かな路地が入り組んでいる。佐保川の東側の稗田集落は、中世的な環濠集落の姿を留めていることで知られている」とある。小さな町だが川が流れ、田が広がり、古い建物が入り交じり、ひとりほっつくには面白い町であった。

奈良県には戦前まで三ヶ所の遊廓があり、大和郡山市はそのうちの二つを市内にかかえていた*1。「洞泉寺遊廓」は寺町の中に、「東岡遊廓」は金魚池を見下ろす市街の端に位置していて、どちらも木造三階建ての楼閣が軒を並べる古典的なものだった。このうち東岡の方は戦後も赤線として二十軒ほどが存続。戦災に遭うことがなかったので古い建物がそのまま特飲店として使われていた。 木村聡「消えた赤線放浪記」)

*1: 上の写真でいえば上段右端、下段右端・左端が「洞泉寺」界隈である。このあたりは「公」の観光地であり、近鉄駅などで配布されている観光マップにも遊廓跡として載っている。