群衆の中の孤独〜澁澤龍彦
私大生の頃、水道橋ウインズA館の8階にほぼ毎週土日 通っていたのだが、そうこうするうちに顔見知りの年増女が出来て、ある日その年増女にお辞儀までされたことがある。やばいと想うた。どんだけおれはウインズに馴染んでいるんだよ…と。他に「トータライザー」*1を読み込んでいる女や、いつも階段に腰掛けて自作の馬柱を見ている若者もいたりした。彼らは彼らで私のことをどう想うていたのだろう。
関内関外日記さん方のエントリ「幻の名競馬エッセイスト」(04-09-22)に「自分の知る限り、澁澤が競馬をメーン・テーマとした随筆は一つしかない。『群衆の中の孤独』だ」とあり、さっそく澁澤龍彦のそれを読む。初出は「朝日ジャーナル」(1966-01-16号)で、上述ブログにあるように少年時代の想い出を綴り、それに続けて競馬についてパスカルやホイジンガーを引き合いに続けるも 書いても書いても原稿用紙のマスが埋まらない、そんな澁澤の苦渋を感じさせる随筆であった*2。
私はムック本くらいでしか競馬エッセイを読まず、かわりに別冊宝島143「競馬名馬読本」収録の山本隆司「虹の彼方の希望 オーバーレインボー」や杉作J太郎「ボンクラ族の最後の砦 キョウエイプロミス」をアホのように繰り返し読んだ。あるいは「忘れられない名馬100」(学研のムック本)に載せられた 内藤繁春「ダイユウサク」、これもまた逸品である。
私は芸事も趣味もやらない。ゴルフも麻雀もやらない。勝った負けたは競馬だけで十分だからである。この世界、楽しいことより苦しいこと悲しいことのほうがはるかに多いのだ。1日の競馬に約150頭が走って、12頭だけ勝つことができる。あとの138頭は悲しい。そういう人生を送っていながら、さらにゴルフや麻雀で負けるという悲しみまで買ってでることはない。
書き出しからして読ませる*3。で ダイユウサクの有馬記念、内藤は自厩舎の熊ちゃんでなく 騎手としての弟弟子にあたる岡部幸雄*4に乗ってもらいたかったものの先約があったため、仕方なしに熊ちゃんを乗せたとのこと。その熊ちゃんがレコードタイム・単勝万馬券のおまけ付きでメジロマックイーンを打ち負かす。競走後、岡部が内藤のもとに来て、「先生、僕が乗っていたら、果たして勝てたかどうか…」と唖然としていったという。これだから競馬は面白い。