池袋・人世横丁と文芸坐通り

97年03月06日に東京池袋の名画座文芸坐は閉館する。ニュースステーションで中継が行われもした。最期の上映作品は成瀬巳喜男「歌行燈」であった。文芸坐は「文芸坐」「文芸坐2」「文芸坐ル・ピリエ」*1の3つの劇場と書店からなっていた。 (宣材「ぶんげいしねういーくりい」で「文芸坐地下」から「文芸坐2」へと変わったのがいつだか御存じの方がいらっしゃいましたら、コメント欄へお願いします)

  • 文芸坐」は、1948年にサンカ小説で知られる三角寛によって、池袋につくられた「人世坐」(68年閉館)の姉妹館として1955年に誕生*2する。その後、三浦大四郎が引き継ぐ。上述の通り、97年に閉館。その後、永田稔の尽力によりパチンコの「マルハン」経営のもと、同じ場所にて00年12月12日に復館する。このあたりの経緯はここを読まれたい。

ここでの想い出は勝新太郎特集で、96年01月06日、トークイベントに勝新が来場と言うことで立ち見もきつい程の客入りとなり、そんな中で「座頭市鉄火旅」を見たことである。結局 勝新は来なかったのだが、館内の熱気に昭和三・四十年代の劇場を体験した気がした。

上映が終わると ひとり客が多いためか、みな黙りこくって早足で駅へと向かう。そんな劇場であった。名画座はどこでも そうか) 私はというと文芸坐通りにある「福しん」で定食を食うて、入りもしない風俗店の前をわざわざ通りがかりながら帰るのであった。

○ 2004.01 池袋・人世横丁(東京都豊島区) 人世坐にちなんで ありし日の人世横丁の写真*3。ここは再開発でなくなる。

○ 2004.01 池袋・文芸坐通り(東京都豊島区) ストリップ小屋「ミカド劇場」が通りに切ない味わいをあたえる。

お終いに、人寄せを目論んで文芸坐地下で観たものを記す。ここでは案外オーソドックスな映画を観ている。初めていったのが95年10月で 97年03月には潰れてしまうので、その割りには通った方か。「赤い縄果てるまで」すずきじゅんいち・1987 「天使のはらわた・赤い淫画」池田敏春・1981 「天使のはらわた・赤い教室」曽根中生・1979 「座頭市鉄火旅」安田公義・1967 「座頭市血煙街道」三隅研次・1967 「小早川家の秋小津安二郎・1961 「浮雲成瀬巳喜男・1955 「七人の侍黒澤明・1954 「赤西蠣太伊丹万作・1936 「人情紙風船山中貞雄・1937 「本日休診」渋谷実・1952 「夫婦善哉豊田四郎・1955 「殺人狂時代」岡本喜八・1967 「にっぽん泥棒物語」山本薩夫・1965 「その場所に女ありて」鈴木英夫・1962 「ツィゴイネルワイゼン鈴木清順・1980 「田園の憂鬱」寺山修司・1974 「斬る」三隅研次・1962 「薄桜記森一生・1959 「珍品堂主人」豊田四郎・1960 「墨東奇譚」豊田四郎・1960 「動脈列島増村保造・1975 「ビリケン阪本順治・1996 「キッズリターン」北野武・1996 「元禄忠臣蔵前篇」溝口健二・1941 「元禄忠臣蔵後篇」溝口健二・1941 「エノケンのドングリ頬兵衛」山本嘉次郎・1936 「エノケンのちゃっきり金太」山本嘉次郎・1937。ついでに文芸坐のオールナイトにて「青春の殺人者長谷川和彦・1976 「聖母観音大菩薩」若松孝二・1977 「あらかじめ失われた恋人たち」田原総一郎・1971 「津軽じょんがら節」斎藤耕一・1973 「ガス人間第1号」本多猪四郎・1960 「美女と液体人間」本多猪四郎・1958 「電送人間」福田純・1960 「ウルフガイ燃えろ狼男」山口和彦・1975。新しくなってからは「にっぽん69 セックス猟奇地帯」中島貞夫・1969 「ポルノの女王 にっぽんSEX旅行」中島貞夫・1973 「悪名 縄張り荒し」増村保造・1974を観たのみである。 ここは私の青春の墓標。

*1: この「ル・ピリエ」の存在は、文芸坐語りにおいて どうも忘れ去られている。かくいう私も入ったことはないけれども。

*2: 他に「弁天坐」があった。この人世坐・文芸坐・弁天坐の3つからなる人世坐グループで1963年に労働争議が起きる。

*3: ともに東池袋一丁目。人世坐は東池袋1-12-5で現在は東京信用金庫本店。人世横丁は東京都豊島区東池袋1-24。