俺も女に「かんにんして…」と言わせてみたい。

廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 来て  

東直子「春原さんのリコーダー」に載る短歌であるが、久世光彦はこう評する。「最後の字余りみたいな二文字が凄い。一文字分の空白の後に、怖いくらいの<<官能>>がある。女にしか出せない、性的な声である*1 詠まずにはいられない、声に出さずにはいられない「来て」の二文字には、刹那に たがが外れた女の狂いを感じる。

"たがが外れる"ってのが昔から好きで、今だと泰葉。あるいは09月のTBS感謝祭にコムロ+KEIKOが出演して、その老いっぷりを伊集院光だとかが笑いのネタにしているのだけれども、あれもいい感じに"たがが外れ"て来ている。この度の逮捕で二人はますます"たがの外れ"に磨きがかかるに違いない。近頃 具合の悪いらしいゴージャス松野さんも、もともとは沢田亜矢子のマネージャー兼配偶者であった人物だが、離婚を機に整形するわ、ホストを始めるわ、プロレスするわで、"たがが外れ"っぱなしで恰好いい。映画「ツィゴイネルワイゼン」で安田道代が腐りかけの桃を旨そうにずるずると喰う場面があるけれども、"たがが外れる"というのはその桃のようなものではないかと想う。がんばれKEIKO。「翳りゆく部屋」をエレカシの宮本さん以上に唄える女になれる気がするぞ。

閑話休題、上記の東さんが選者として参加したラジオ番組「土曜の夜はケータイ短歌」の傑作選より、

きみんちの前振り向かず石を蹴る。とうぶん卒業なんかできない (福島県 藤吾 17)

途中に句点が入るのがいい。短歌の規則を逸しているのかも知れないが、東直子の「来て」と同様に、こういうノイズにあふれでる感情が現されるのではないか。お〜いお茶の俳句コンテストでは、子供の癖に風流ごっこした俳句が入選しがちであるけれども、そういうのは腹立たしい。先ほど呑んだティーパックに名作シリーズとして女子高生による「麦秋や明日はきちんと愛告げる」なる句が印字されていた。女子高生にして「麦秋や」はないだろう。これはたんなる季語を通り越して、大人に媚びているのである。

これは、こういうことだ。西村昭五郎のロマンポルノや団鬼六のエロ小説などでは、性的高揚に向かう女性が「…かんにんして…」と口走る。しかし、もしあなたの恋人・ガールフレンド・配偶者・妾・愛人・二号さんが閨房の営みの最中に「かんにんして…」などと言ったならば、それは演技だろう。 …などと10年以上前の俳句、しかも見ず知らずの一般女性に腹を立てるとはなんと狭量なニンゲンであろうか、私という無能者は! ごめんなさい。

なお、過去に拝見したお〜いお茶の俳句コンテストでのお気に入りは…

小包を開ければそこに姉が居る  (岡部さん・女性・69歳)

日野日出志みたいで、ぞくっとくる。

ちなみに表題は猫猫先生のご本のタイトルをもじったもの。

俺も女を泣かせてみたい

俺も女を泣かせてみたい

*1: 久世光彦「冬の女たち」新潮社より