蛭子能収「ヘタウマな愛」


図書館でついつい繰り返し借りてしまう蛭子能収「ヘタウマな愛」、ぐっとくる度の高い書籍である。これは最愛の妻(なにしろエビスさんは奥さんしか"知らない"のである)を失い、泣きに泣き、死を受け入れ、気持ちの折り合いをつけていく、その道程を書いたもの。エビスさんは御存じの通りのひとであり、お葬式でついつい笑い出してしまうひとである。実の息子を自らの漫画で何度も殺すひとである。(てなエビスさんの人柄については別冊宝島250「トンデモ悪趣味の本」の根本敬の記事などでも探しだして読んでちょ)

そんなエビスさんも奥さんが心肺停止で病院に運ばれてからは、ひたすら泣く。本書はそんな01年8月の日記形式の文章と、横尾忠則にあこがれ長崎を出て、東京で奥さんと同棲し、「ガロ」に原稿が載ってお祝いに豚肉入りのカレーを夫婦で食べ、その他なんやかんやの日々をつづった、すなわちエビスさんの半生記、その構成となっている。

8月5日、平和島競艇場で遊ぶエビスさんのケータイがなり、奥さんが倒れたと知らされる。その2日後の8月7日に死去。その日から告別式が行われる8月11日までの日記をそれぞれ抜き書きする。日々の心情の変遷がわかろうかと想う。

もう死んでいる女房と同じ部屋で寝るのは、少しだけ、怖かった。
幽霊と寝てる気がした。
そんなことを思う自分も嫌だった。 *1     

その日も女房と一緒に寝たが、もう怖くなかった。ただ女房の顔をじっと見て、浅い眠りについた。  *2   

今日は、棺に入った女房の隣で、少し眠った。
この夜が、女房が俺たちの部屋で過ごす最後の日となった。  *3  

家に戻っても、もう女房の肉体はどこにもなかった。この間まで使っていたエプロンなんかは、その辺に置いてあるのに……
頭では分かっていたつもりだが、その喪失感は大きかった。
死体でもいいから、やっぱりそばにいて欲しいと思った。   *4   

家に帰った俺たちは、まだ女房の匂いが残る寝室に、骨壺と、遺影と、そして位牌を置いた。
戒名はない。
位牌には本名が綴られている。
「蛭子貴美子」のまま、女房はちっちゃくなって俺のところにもどってきた。  *5  


ヘタウマな愛

ヘタウマな愛

wikipedia:蛭子能収

*1: 8月7日…25ページ

*2: 8月8日…26ページ

*3: 8月9日…27ページ

*4: 8月10日…29ページ

*5: 8月11日…33ページ