東京徘徊〜隈研吾ほか


● 2004.05.01 渋谷の"スペイン坂"上(東京都渋谷区)

なごみの裏にあるあやしさ、うさん臭さ。駅前の大型商業施設とも、商店街ともまた違う次元が、この街には同時に存在しているんですね。僕は町田を少し甘くみていたようです。この街は面白い。今まで見てきたどんな町より面白いですよ。

絵の具の塗り残しの隙間から顔を出す、それらの「生すぎる」ほどのリアリティは、都心部に散在する、いわゆる「下町的」街角や、歌舞伎町の「生々しさ」すらも軽々と凌駕する。

以上は、建築家・隈研吾による「新・都市論TOKYO」(集英社新書)の、町田(東京都町田市)について論じた部分の引用である。小っ恥ずかしい書名ながらも、おすすめの書籍。

これの面白さは、汐留・丸の内・六本木・代官山を訪れては語っていき、最後に町田に案内された隈研吾が、最初は退屈そうにしていながらも、次第次第にいろいろな発見をするうち、興奮を隠しきれずに饒舌になっていくことである。

隈研吾は町田を見て回るうちに、重層性(JRと私鉄が乗り入れ、大型商業施設と商店街が併存し、そのなかで老舗乾物屋とゲーセンが隣り合い、街の隙間にかつて闇市性風俗地帯が残る)を感じとっていく。私は町田へほとんど行ったことがないこともあって、この重層性談義から想い浮かべたのは、品川区の大井町であったのだけれども。また重層性のある町は、よそ者がふらふらと入り込める、すなわち徘徊にむいた町でもあろう。

東京市はかくの如く海と河と堀と溝と、仔細に観察し来ればそれら幾種類の水--即ち流れ動く水と淀んで動かぬ死したる水と有する頗(すこぶる)変化に富んだ都会である。 (永井荷風「日和下駄」の「第六 水」より)

建築史家・陣内秀信は「東京の空間人類学」で"水景"の町としての東京を論じている。私の好きな水景は、たえば柳橋、八潮、小名木川横十間川、立会川などで、これらのうち八潮は当ブログで過去にアップしたのだけれども、他のところも追々。


この調子で一冊一冊ああだこうだと書くのも面倒なので、以下に東京で徘徊するのにおすすめの書籍を列記する。"とりたてて目的もなしにカメラ片手にぶらぶらし、古本屋で一冊、何か買って帰る" … その程度のことで満足できる者のための書籍である。目的があればそれ用のガイドブックを、あるいは浅草であれば小沢昭一「ぼくの浅草案内」を、と成ろうけれども、これもまたごちゃごちゃ言い出すときりがない。

東京人2005年02号 「特集 東京の路地大事典」(都市出版
東京人2005年11号 「特集 東京の散歩道」(都市出版

隈研吾 「新・都市論TOKYO」(集英社新書

陣内秀信 「東京の空間人類学」(ちくま文庫・1992)
川本三郎荷風と東京 『断腸亭日乗』私註」(都市出版・1996)

荒木経惟荒木経惟写真全集6 東京小説」(平凡社・1996)
中里和人 「長屋迷路」(ピエブックス・2004)

川本三郎 「私の東京万華鏡」「私の東京町歩き」「東京つれずれ草」「東京おもひで草」「雑踏の社会学」(以上ちくま文庫
  「ちょっとそこまで」(講談社文庫) 「東京の空の下、今日も町歩き」(講談社

新・都市論TOKYO (集英社新書 426B)

新・都市論TOKYO (集英社新書 426B)