太田英子との蜜月

隣り合った女の左肘と私の右肘がぶつかり、その度に互いに顔を見合わせた。左利きと右利きが隣り合ったのだから仕方がない。そんなこんなで太田英子と親しくなった。バイト先で知り合った上和田義彦君のライブに出向き、その後に催された打ち上げにのこのこと出かけた際のことである。

二十世紀のお終い近く、ふり返るにその秋は珍しく仕合わせであった。私が仕合わせだった時期などほとんどないのだから、貴重なそれである。TBSで「青い鳥」をやっていた秋である。霧に包まれた京都競馬場エリモダンディー京阪杯を勝った秋である。暮れには西早稲田のACTミニシアターでボリス・バルネット特集があり、中野武蔵野ホールでは黒沢清の「蛇の道」がひっそりと上映された。

そんな季節、私は太田英子と蜜月であった。

太田英子は悪い冗談のような話を始め、次第にずるずると鼻水をすするようになった。「ほら」といってシャツから肌を露出すると、そこには彼女の来し方があった。悪い冗談でもなんでもない。ひとりの女の生々しい現実である。太田英子はそれを負って今を生活している。私はどんな顔をして居ればいいものかわからず、仕方なしに一緒に泣いた。半端者の私にはかける言葉など想いつきもしない。ひたすら続く、林静一の漫画のひとコマのような際限のない沈黙、その渦中にいる私を救うように競馬中継が始まる。アシスタントは斎藤陽子。「話すんじゃなかった」と言って、太田英子は私の前に置かれた新聞を拾う。「なに買ったの?」「メジロランバダ」「それが勝つの?」「いや。おそらく負ける」 テレビに見入るふりする私を尻目に、太田英子は黙って出かける支度を始める。パドック本馬場入場、いよいよゲートがあく。四コーナー手前で誰よりも早く熊沢の鞭が入る。…結局メジロランバダは着外に終わり、土曜日のうちに買っておいた紙切れは、紙屑に変わった。「ハズレた」「いつも通りに」 来週はタイキフォーチュンか、と想い、何時間ぶりかに腰を上げた。

それからどうしたのか。西新宿のブートレグ屋、あるいは東口のディスクユニオンにいったのか。たぶんそうだろう。

やがて疎遠となっていき、太田英子は今世紀を待たずに他人と結婚した。さくら銀行の行員とである。以降、私はさくら銀行が潰れることを願うようになった。不良債権とそれによるジャパンプレミアムの時代である。ある日、さくら銀行のあった場所が違う銀行の店舗となっており、私は微笑んだ。そこには三井住友銀行と書かれてあった。