商売で映像作品をつくる際の、つまらない話

制作のプロデューサーには、明白なスキルが無くて、人さまの力、人さまのテクニックをお借りし、協力を得て作品を作って行くという仕事なので、それを常に忘れないようにしたいと思います。 (東宝・樋口優香 〜「デジタル時代のクリエイター」キネマ旬報社・104頁より)

至言と想う。当たり前のことだけに、つい勘違いして、忘れてしまいがちであるが。東宝様のひとですら、こうなのだから、出入りの業者程度のニンゲンは片時もこの誠実さを失ってはいけないのである。

数年前までCM制作会社にいた。現在は違う業種だが似たようなことをしている。稀に「自分でカメラで撮影したりするの?」などと聞かれることはあるが、arriflex535やphotosonic4ERを、今でいえばF35やalexaを自分で廻すことなどはない。撮影技師が撮影をし、照明技師が照明を、インフェルノコンポジッターがコンポジットをする。餅は餅屋である。

では、なにをしているのかと言えば、CMの場合は民法上の請負にあたるため、仕事完成義務を果たしてその報酬を得るべく、原版制作をしているのである。その過程において必要かつそれに応じてくれる者を集めることと、彼らへの支払いである。その仕事完成義務のために、打合せを組んだり、その後の飲食を支払ったり、更にその帰りにタクシーを呼んだりしているのである。その飲食でもって、「業界人」気取りになってしまう者もいるが、なんのことはない、民法上のただの請負、あるいはそれに準じたものである。


…とても、つまらない話である。「神は細部に宿る」とか、そういうクリエイティブなお話ではない。その手の話は、読んだ者を気分良くさせる。わかった気にさせる。そういうものとは、まったく反対の、つまらない話である。

私が仕事を通じて得るものはいつも凡庸なことである。凡庸なことに気付く…を、ただ繰り返している。だから私はつまらないニンゲンである。現在の職場では、一度も呑みに誘われたことがない。そんな凡庸なニンゲンである。

映像関係の実務的なエントリ

「三軒の鰻屋、その想い出」(2010-09-19
「CMの実務的な『パクリ』について」(2010-10-02
「映画・CM・映像」(2009-09-06
「ふくらはぎ、増毛、中島哲也」(2009-01-14