ALWAYS三丁目の夕日'64

上映後の床はポップコーンだらけ、3Dメガネのせいでツマミみにくいのかもしれないが、こんなに散らかっているのも珍しいというくらいの有さまで、ハレの映画の証、すなわち年に1度映画に来る程度の人(つまり大半の日本人)をかき集める映画、大衆を相手にしたそれであることをポップコーンが語っているようであった。年がら年中映画を観る人はこの映画を黙殺するのであろうけれども、変なこだわりは捨てて観たほうがいいんじゃなかろうか。▲コンテンツ商売なんてものをやっているため、年中「エッジが効いている」だなんだてな物言いを聴くのであるが、「エッジが効いている」ものよりも、大衆を相手にしたものの方がすごいし、こしらえるのも大変に違いない。この映画を見ながらずっとそんなことを考えていた。▲勤務先の上司は、地方で暮らすブルーカラーの兄貴にも届くか…と自問自答しながらコンテンツ商売をしているのだが、たとえばテレビとスマフォの普及率を直視するとか、慶応SFCぽいひとは頭を冷やした方がいい。▲阿部さん山崎さんはじめ、商売の都合で通じたひとがスタッフクレジットにずらずら並び、また次に会う際に見てないのもあれなので …そんな軽い気分でTOHOシネマズ六本木へいき、上述のように大衆を相手にする凄みに圧巻されたのであった。▲この映画、スタイリストの仕事っぷりが素晴らしい。衣裳が余計な主張をぜんぜんしていない。(もたいまさこのジャンパーを除いて)▲同じく白組×ロボットの「フレンズ もののけ島のナキ」は立体視調整をオムニバス・ジャパン、ラボを東現としていたが、本作品はともにイマジカ。イマジカ・ロボットホールディングスのロボットだから自然といえば自然だが。▲その昔、まだCM制作会社にいた当時、合成ものの場合、その肝は接地であった。松本人志大日本人」の合成カットは足元がほとんど写っていない。それは接地の処理を避けた結果であろう。あるいは広い画であったり、あるいはカメラが動いたり、そうすると途端にカネが余計にかかる。わずか900フレーム、アスペクト比4:3の世界ですらそのざまであった。本作品は、なにも恐れていない。がんがんカメラは動き、広い画がどんどん登場する。当然のように。そんな風に日本の映像(文化)は山崎貴が変革したのだ。▲吉岡秀隆須賀健太と別れ、須賀の叫び声を背に歩き去っていく。門を曲って、一拍、吉岡のセリフ。この流れで、一拍の箇所でうまい具合に車が通り過ぎ、その通過音。この音の流れ、すなわち須賀の叫び声→通過音→吉岡のセリフ、このリズムが気持ちいい。▲ブルーインパルスVFXカット、あれは少し違う趣味が出ている。▲最後、カメラがずーとトラックバックしていく。当然そのままクレーンアップし、東京の全景を見せてくれてお終いと想いきや、カットを割って全景であった。▲出色なのが堤・薬師丸のセガレ、すなわち鈴木オートの御曹司の小清水一揮。こりゃあ、ドラ息子の顔だわ。