浅草六区 / 大塚銀悦「濁世」

公園六区の人通りもまばらな映画街をゆく。千円足らずで入れるくたびれた廃屋寸前の映画館の前に立つ。東京クラブ。中に入った。上野あたりの安映画館は男色者の巣窟で、連中、魔羅がついていれば誰でもよい。たまに、そうした映画館にも、男色者が好きなレズ婆あが彷徨していると言う。百鬼夜行とはこのことか。
四半世紀も前に造られた映画が、かかっている。癌でくたばった男が、白刃を振るって、これも癌で死んだ男の腹を抉っていた。秋水よりも匕首よりも癌の方が数等、上だと証明している映画か。売店へ行って菓子と色つきジュースを購う。前の席の肘掛けに両足を乗せて食う。こんなものが俺の主食だ。皮膚がたるむわけだ、と思う。食いかすを椅子の下に撒き散らし、伊東はまどろんだ。
目が覚めると、あっ、こいつまた同じ野郎を斬り殺している。見た事があるぜ、この場面。手提げの時計を見れば、なんだ、こんな時間か。三本立てが一巡する程眠りこけていた。

大塚銀悦「濁世」*1、ドヤ暮らしの盗人の話である。↑の東京クラブは91年に終映で、まだ地方住まいであったので行くことはなかったが、現在も営業されている浅草の名画座の雰囲気を上手く伝える文章である。実際は肘掛けどころか 前の座席のヘッドカバーに足を乗せるのだが。そういえば新宿昭和館では煙草の煙が方々で立ち上がっていたか。最後列に座れば上映中ですら競馬の馬柱が読める程 館内が明るいのは、その方が安全だからだろう。場末の番外館とはそういう場所である。それを承知で映画を見に行く物好きがこの世にはいるのである。それもまた番外館の魅力によるところであろうか。

東京クラブは建物として面白い。こちらを参照
浅草六区(東京都台東区) 左の奥に写る東映パラスはすでにない。(よく見ると取り壊し中)

90年代の半ば過ぎ、河出書房が「J文学」なるものをでっち上げ、「文藝」が星野智幸やら赤坂真理やら貞奴やらなんやらかんやらのグラビアを載せる、そういう胸くそ悪い時代に大塚銀悦は「久遠」によって「文学界」の新人賞候補として世に出てきた。その時、47歳。「久遠」は三島賞候補となるが車谷長吉エピゴーネンとの罵声を浴びる。車谷の主人公は大卒インテリの「やつし」であるけれども、大塚銀悦はそうではないだろうと想うのだが、残念ながら私は選考委員ではない。続いて「濁世」「壺中の獄」は芥川賞候補となる。後者が候補となった際に石原慎太郎は「選者の誰かがこの作家は葛西橋を渡って川のこちら側に来てしまったら何も書けまいといっていたが、いかにもという気がする」と酷評。"川向こう"の作家とでも言いたいのか。その後短篇をいくつか発表しているが、書籍化されずにいる。不遇の人である。

[追記] 大塚銀悦はてなキーワードを編集した。(08-12-05)

*1: 初出「文学界」98年05月号。後に『濁世』として文藝春秋より刊行。引用箇所はその20-21頁。