ある逆説(CMの表現技法について)

ストレートトークというCMの手法がある。人物が商品やサービスについて語る…アップルのジェフ・ゴールドブラムのCMが著名且つ典型だろうか。*1 これは広告主のメッセージでなしに消費者のメッセージとすることを目的とする場合に用いられることが多い。その表現においては、人物を正面から撮る(アングルを凝らない)・シンプルバック(セットに凝らない)・ただ喋る(演出に凝らない)・カットをなるべく割らない(編集に凝らない)…すなわち映像的 演出的な要素を排除していくことで、人物(消費者)の言葉をたたせていく手法といえる。

「凝らない」というのは何であろうか。アートディレクターの佐藤可士和が「大事なことほど平凡なフォントで」といっていたと聴く。人気ブログ「ある広告人の告白」のIDは「mb101bold」、モリサワの標準的なフォントに由来している。標準的なフォント、すなわち平凡(よく言えば中庸)なそれである。氏は外資代理店の広告クリエイティブであるので「時代の先端」のイメージを抱かせるところだが、あえて「中庸」を名乗っているわけである。

マルハン(パチンコ)のCMで、女性客が指輪をなくしたら店員が探してくれた…というものがある。この女性客はシンプルバックの前で正面から撮られている。ここまでは上記のコードに従っている。しかし、途中で指輪を探す店員の写真が細かいカット割りでインサートされる。これでは女性の言葉は演出上の言葉となってしまう。なぜこのようなことになるのか。ストレートトークは[語る画→広告主のメッセージ→CI]の最小で3カットとなるが、それではプレゼンでコンテ映えしない。紙がすかすかである。広告主は広告主でせっかく金を出すのに3カットかよ…と物足りなく想うかもしれない。それでも「ストレートトーク」という外来語を引きずりCMを作ったあげくがこれであろう。

自民党のCM「さらなる景気対策」篇では、麻生太郎はシンプルバックを背に、前をしっかり向いて語りかけている。「麻生総裁の言葉を視聴者にうんたらかんたらするCMです」と企画意図をプレゼンしたことであろう。しかし残念ながら「凝りすぎ」である。30秒で15カットあるうえ、アングルも凝りすぎている。手のアップなど果たして必要なのか。これは映像映えはするが、企画本来の目的を逸するCMと言える。(ここであらためて、冒頭のアップルのCMを30秒で何カットあるか、指おり数えながら見てほしい)

中島信也演出のCMにはなんでもないものが多い。CM制作会社に入った頃、何がすごいのかさっぱりわからなかったが、足を洗う頃になって、この人のすごさを理解した。それは他でもなく「なんでもない」ということである。たとえば♪燃焼系燃焼系アミノ式はまったく凝ったアングル・編集ではない。だからすごい曲芸をやっていると解るのである。ためしに反対の事例として、パナソニックの電池のCM(小さなロボットがグランドキャニオンを登る内容)を見てほしい。こちら(「その他商品」の欄)で見ることができる。これは劇的なアングル・カット割りが、かえってやっていることのすごさを伝えるのを邪魔していると解ろう。

以上のように、しっかりと伝える・見せるには凝らないことである。とりわけ話者の言葉を伝えたい場合においては。

  • このエントリはid:maachan1977さんところの「大統領選挙よりもProp 8が熱い」(08-11-03)へのBMの捕捉を目的としている。また私は英語をまったく理解しない。よってアップルのCMで何を喋っているかは解っておらず、純粋に映像としてみている。

*1: リンクは30sec。60secでは途中でインサートがあれこれはいる。