立石ミリオン
いま私のいちばん好きな町、立石には、いまだに立石ミリオンが残っている。ときどき、ここで三本立ての一本を見て、線路脇の、焼鳥一本六十五円の居酒屋で安酒を飲む。映画館とは、時代や状況からこぼれ落ちたいと願う落魄者にとって、もっとも心やさしい隠れ家である、と想うのはそんなときだ。 −川本三郎「場末の映画館が隠れ家だったころ」(「東京つれづれ草」収録)より
立石ミリオンとは葛飾区立石で95年まで営業していたピンク映画館で、このエッセイはぎりぎり95年に書かれたもの。その当時、都内にあって山手線圏外にあるピンク映画館はここと亀有名画座*1のみであり、川本が「残っている」と書くのはそのためであろう。
川本三郎は、さかのぼれば「シネマ裏通り」(初出「問題小説」78年1月〜)でも立石のピンク映画館を書いている。この連載は南千住や船橋、五反田などのピンク映画館を訪れては ついでに近隣を散策する随筆で、川本は麻布高校*2−東大法学部−朝日新聞のエリートであるが 赤衛軍事件の巻き添いを喰らい逮捕・解雇される、そうした落魄者らしい日陰をゆくそれである。
こちらでは、71年当時立石には3つの映画館があり、日活・洋画それぞれ番外館とピンク映画館があって、ピンク映画館は「金竜座」とあるので、立石ミリオンは番外館のどちらかが後に成人映画館となったのであろう。それにしても、あのような奥まった場所に邦・洋・桃それぞれの劇場があったのである。ひとつの町でもろもろが完結していた時代である。
朝日新聞社とポルノといえば…乱暴者日記さんのエントリ(03-10-25)が素晴らしい。朝日でバイトしていたおり、そこの老記者の中に…
奥さんに内緒でストリップに通い続けている人もいて、ぼくにとって、その人とロマンポルノ談話に花を咲かせるときだけが唯一の「世代を超えるつながり」なのである。ちなみに、足立正生さんに会ったときもそのような精神的邂逅を感じた。あるいは、民族派右翼野村秋介氏には直接会ってもいないが、彼の生前を語る人たちを前に、やはりぼくは邂逅を感じたのであった。